核共有論の前提

核共有論についていろいろとおっしゃっている方がいます。しかしその中で前提として考えなくてはいけないのは、冷戦時代は沖縄には核兵器が米軍の基地にあったということです。それを返還時に除去したようです。したがって別に日本は戦後核のことを検討すらしなかったわけではなく、沖縄返還時に、さすがに、核については、当然当時の米軍は残したかったでしょうから、交渉もあったのではないかと思います。そのような経緯なしで核共有について語ることはどうかと思うのですが。また、今の流れだと、沖縄に核を配備することで補助金を出すようなことをセットでやって、地元の振興のような理由付けをすることが、ないとも言えない雰囲気を感じます。そんなことはやっていいことではないように思います。どうなんでしょう。歴史に詳しい方がどこかにかいてくれないかとおもってます。