朝日新聞を読んで(経済きひょう)2024年4月18日

(経済季評)社会常識とのズレが招くダメージ 変化に挑戦、地位ある人こそ 坂井豊貴:朝日新聞デジタル

どこが経済と関係するのかは不明な文章だったが、前半は静岡県川勝知事、後半は国会でタブレットを使えないことへの意見でした。

前半の川勝知事は立派な学者なのにおかしなことをいってしまうことを言ってしまうことを社会常識とのずれといっているわけですが、しかしこのずれはどういうずれなんだろうという疑問があります。例えばこれは当然のことながら総務しかるべき人が事前に読んですしマスコミも読んでる(配布されてるはず)と思いますのでかなりのひとの目に触れているわけです。そして日刊スポーツで大谷氏がいっているように現場で聞いていた記者もいたはずなのにそこでは問題にならなかった、ということは、かなりのひとは問題とも思っていなかったのでしょう。小生自身もテレビでみると、”農業などの人と違って皆さんは知性を磨くことで静岡県に貢献しなくてはならないので、勉強しなさい”という意味をいいたかったんだろーなー、と感じました。ただ、今は切り取られて拡散されるので、そういったところではかなり今の社会常識とずれていたということでしょう。しかし坂井氏が言っているのは単に言葉自体がずれているというだけなのでそういいういみではありません。むしろ学者としては立派なので”先生”といいたいらしいですが、そういえば慶応大学というところでは先生は福沢諭吉だけ、と聞いたような気がしたが、このひとは他の人には先生を乱発するひとなのか?そういう先生と乱発する世渡りがこのひとを大学教授にうまく収まらせている類のひとなのだろうか、、、

もちろんマスコミや偉い人の取り巻きのひとたちについて言えば過去も森元首相がどこかでいった女性が増えると会議が長くなるだの、河村名古屋市長のメダルをなめただのも笑ってスルーでしたから、その辺もずれてるということだけの話か?

ということで後段ですが、タブレットの禁止は、議場の外との通信禁止と関係しているわけなのですが、そういうことはこの人は言わないですね。ここにいたっては経済学者の出る幕ではないと思うのですが、あえて言えばこのひとの専門は決定理論だそうなですけど、国会の本会議の主要な仕事は当然委員会で上がってきたりした内容の決議だ夫ともってます。そこでの投票活動がタブレットで通信されることで左右されていいの?ということですが、、、いいとおもってるんでしょうかね。そこには触れてませんでした。以前から思ってましたがやっぱり学者としてはどうかって感じのひとですが、まあ朝日新聞にコラムも持てるのですからその世界では高く評価されているのでしょう。

舛添さん

小池百合子都知事の学歴詐称疑惑再燃 舛添要一氏「もう政界から去ったほうがよい」 - 社会 : 日刊スポーツ

ということですが、舛添さんが言っているのは結局先進国ならデータは出せるということだけでエジプトの大学はそうじゃなければ出しようがないけどどうすればいいんでしょうか、ということですね。

まあ選挙民は小池さんがカイロ大学出身だということはなにも考慮していないとおもいます。ただし、このひとの出発点は当然そこからなので、逆に言えば今となっては開き直ってもいいんじゃないかとも思います。”信じないなら信じなくても結構”ということです。

むしろもう今となっては初期の本の内容が嘘だというほうが、インパクト大きいのではないでしょうか(まあ結局同じようなことか)。特に日常会話の本は本当にどこまで当時の小池さんの語学力でかけてるのかなあと。取材してほしいですね。

まあテレビに出てキャスターやってたあたりからはみんな見ているところなので、そういうひととしてみればそういうひとだし、そういうひとを選挙で喜んで選んだりする東京都民の民度は低いっていうことじゃないのでしょうか。また、それにはマスコミも影響は大きくて、都知事選挙のときの、イメージ作りには相当マスコミが絡んだし、そのあともなんだか適当なきがします。本当にマスコミの扱いには習熟されているひとなので、その点舛添さんが勝てる相手じゃないのでしょう。

日刊スポーツ大谷昭宏氏のコラム(4月16日)

【大谷昭宏】川勝氏の発言、記者たちは「一発退場」と思わなかったのか - 大谷昭宏のフラッシュアップ - 社会コラム : 日刊スポーツ

ということで大谷氏は静岡のメディアを嘆くわけだが、このようなことは今の大メディアでは当たり前なんじゃないだろうか。国政から始まって地方までだ。

今更何をいってるんだろうと逆におめでたさに驚いてしまった。

このひとは自分はそういった記者とは違うと思っているのだろうが、まずはお仲間にそれを訴えられないで高みからの物言い。要は今のマスコミはそういうひとばっかりなのですよ。一方では記者会見を見ていると、自分の意見を開陳しているだけとしか思えないような人も結構いて、なんだかなーということです。

マスコミのひとって要は名前をうって選挙のステップにしようっていうことなんでしょうか、、、

毎日新聞の石川県能登半島の看護師離職の記事を読んで

能登半島地震で相次ぐ看護師の退職 「腹をくくって出て行った」 | 毎日新聞

ということですが、

なんだかなあという感じの記事です。

すくなくとも日本では職業選択の自由や居住の自由がある以上しかたのないことです。

逆に地方公共自治体の病院であっても、例えば医師を減らすことは医師会などの反対で難しくても、看護師をそこまで大切に扱っているのかは疑問。こういうときだけあたかも人手が足りない、と同じような扱いでいっていませんか?という気がします。

普段からもっと看護師を専門職としてきちんと扱っていれば違っているのかもしれないとも思ったりします。

退職という表現は不適切ではないかとも思いました、単に能登半島から出ていくだけで、看護師としての仕事は続けているわけです。それも新聞記者が看護師という仕事を専門職としてとらえていないからではないかとも。

また、この記事では国からの派遣と書いてありますが、まずは石川県がやるべきではないでしょうか。要は自衛隊からの派遣なのかもしれませんが、まずは県で対応できる体制があるべきかと思います。コロナのワクチン接種の際に、国は某派遣会社の役員などと、看護師は派遣会社でいくらでも用意する、というようなことをいっていたように思いますが、県もそうすればいいんじゃないでしょうか。

と書いてきて、そんなのは派遣会社の都合であって、結局はできないことではないかとも思っています。そうすると、各都道府県はきちんとある程度の余裕をもった人員配置をしていないと、こういった事態には対応できないということで、そのために自衛隊が看護師を採用している、だから自衛隊は役だっている、というようなわけのわからない話になりかねないと思います。

それにしても石川県は相変わらず知事はこういったところにはでてこないで、いいときだけテレビに映るということみたいですね。なんだかなあと思いまうs。

 

学歴に思う

小池百合子知事が不快感「知事選のたびに記事が出るのは残念」元側近の手記で学歴詐称疑惑再燃に - 社会 : 日刊スポーツ

選挙の前にたしかにまた出てくるわけですけど、それはまあ小池都知事が再選されればいいのかというカウンターでしょう。逆に選挙の前になると、やたらと大盤振る舞いがあって、それをマスコミが流すという構造もあるのでは。

ということで、そもそも学歴って何だろうと思わされる一件です。
最近国会議員で公務員出身の人などもよく、なんとか大学修士というような、就職後の官費留学と思われる学歴を平然と書いています。やっぱり学歴は大切なのかと思わされます。しかし、一般に知られているように、例えば○○大学政経学部卒、といっても年に1000人以上の卒業生がいるような大学で、レベルは一定であるはずもありません。すくなくても日本では。これは米国でも同じようで、NCAAのリーグがGPAが高いバスケット選手を表彰したら、そこに、その大学のGPAは甘いのでは、みたいな投稿をしているひともいました。米国のように学部レベルの教育が標準化されていもそうであるとすると、日本などはもっとばらついていることでしょう。

ということで、都知事の学歴に戻ると、結局大学の証明書うんぬんよりも、ちゃんと例えば自分が書いた本(アラビア語を3日で話せるようになるような本も書いてます)が自分の成果であることを示せばいいだけです。会話本を書くくらいですからエジプトの要人などと楽しく語らったり、アラビア語で書いた論文やエッセイなどを示してくれればそれで世間の人はかなりカイロ大学卒業ということを認めるのではないでしょうか。

普通学部卒で本を書けるほどアラビア語に熟達されるとも思えませんが、小池氏は自分で出しているわけで、かなり優秀だったのでしょうから、その能力を皆さんに見せつければ、学歴云々などだれも言わないと思われます。実は小生の会社にも似た人がいて、おれは野球がうまい、とかゴルフはプロの何とかと回れるくらいだ。とかいうのですが、だれも見たことがない、という方でした。この方はついにあるときゴルフ大会に出て、実力が分かってしまい、皆さんからそのあとは嘘つきと呼ばれましたが、まあそういう人もいます。逆にへーというひともいるでしょうから小池さんにもぜひそれを記者会見などで求めてもらえばいいんじゃないですかねえ。

ということで、むしろ国会議員の官僚上がりのみなさんも、”ちゃんと”修了したひとも小池氏について中田考氏が書いているように、日本国公務員という客人として修了したのではないことを示してくれるのもこの機にやってほしいものです。修士号などであれば発表したエッセイや論文があるでしょうから是非見せてほしいですねえ

といいつつもマスコミ自体が特にW大学卒ということでスクラムを組んだりする人もいそうなのでむりなんでしょうね。マスコミ自体の学歴偏重が一番強いと思うのですが、ほとんどの記者はジャーナリズム論などもなく、現場で覚えてやってるということは、皆さん得意げに披瀝する割には学歴にこだわるという全くもっとよくわからない人たちという気がしてます。マスコミの採用基準自体に○○大学卒であれば現場で鍛えれば頑張るはず、というはずが含まれていてそうなるんだと思います。それは大学でやったことよりも学歴という隠された能力に期待する、ということで日本の学歴社会を支える基本的な思想ですね。

マスコミといえば、某コーヒーチェーンでNHKをやめた女性記者を社外取締役にするとかで、NHKの中でもこのかたは東大卒ということでのしあがったのでしょうし、まあ日本の最高学府はやはり卒業しておくといいんだなあと思わされます。学歴自体がやはり日本では大切なんでしょうねえ。

相当ひがみがはいっています。

台湾の地震をめぐってのおやっというコメント

台湾の地震に関して、東工大の名誉教授がもしょもしょと、日本は阪神淡路以降耐震性を強化しているから大丈夫、というようなことをいっていた。

しかし、1月1日の石川県の状況をみたら、とてもそんなことは言えないことはわかると思う。

いったいどうなってるんだろう。それをNHKもそのまま流すと。

さすがにそれはないだろうと思うのだが。

NHKの年度末の違和感を感じる光景

NHKの番組の年度末、次年度から変更があるキャスターなどが、番組の最後でコメントをするというのが恒例になっているようだ。

例えば国谷さんのように延々とやっていたようなひとならまだしも、2年程度の局の記者やアナウンサーでもやる。はっきりいって、2年程度やったリポーターがどうであろうと視聴者にはほとんど関係ないのだが、なんだか自意識過剰に見えて、いい感じはしない。NHKでは不要な部分ではないだろうか。せいぜいが次年度から変わることを言えばいいので余分な総括は不要。

また、年度末になると翌年度の番組の宣伝も増える。ニュースの中で宣伝をするのはおかしいのではないだろうか。NHKはモラルが崩壊した放送局ということなのだろうか。