X(旧ツイッター)にまたまた松井健人氏が深井氏について書いているというのが流れてきて読んでみた。
一読若い研究者の仕事としてあまりにも無益と思われた。
また、特に「男同士の絆? カール・レーフラー捏造事件から『キリスト教
綱要 初版』(深井智朗訳)まで」の方にはなんといか読んでいて、若干気持ち悪さすら感じた。
2編最近の著作が松井氏にはあるようだが、こちらについては、講談社から出版された「キリスト教綱要 初版」についてあれこれと書いていて、編集者までを”共犯者”のように見立てたところがちょっと違っている。それがタイトルの”男同士の絆”というものである。しかし、どこが男同士ということでこのような出版が行われたという証明なのだろうか?小生は”男同士”だから、ということは読み取れなかったのだが、、、互氏の回答のどこに”男同士”を読み取ったのかタイトルにするなら書いてほしいものだ。
と書いてきて、なぜかは読み取れるところもある。いまではよはく舎という出版社もやっている小林えみ氏についての記述がありこのひとが編集をしていた雑誌に深井氏に寄稿をもとめたことを深く憂慮しているという記述がある。また、「ほんのひろば:というフリーペーパーに深井氏が寄稿したときも謝罪を出しているのは女性の編集者なのか?これも寄稿を依頼したのはどうも書評対象の本の出版社のひととするとfacebookでみるところ男性であるので、”男同士の絆”と映ったのかもしれない。
しかし小生が読む限り、小林氏の文章にもちょっと言いようのない不快感を感じた。それはある雑誌を編集するということが、その雑誌に寄稿する人たちへの全能感を逆に言うと持たないといけないと思っているのではないかと思われたからだ。もちろんそんなことはない。編集者とは、あるページ数の原稿を依頼し、それを”編む”ことで一冊の雑誌にする。もちろん出版に当たってはそれなりの責任は生じるが、それは近代では分散されているものだろう。例えば深井氏の書物を出した岩波書店はこの本の回収で多大な被害を被ったとはいえ、学術書の場合、校閲でわかる範囲は限定的なものであるという自戒もあるだろう。松井氏が行ったように、学術書について、参照する文献を所蔵する図書館などに問い合わせまで行うのは明らかに校閲者の仕事を超えていると思われる。
松井氏のようなひとにとって、編集者として反省すべきは、例えば矢野某のようなセクハラを起こした著作者を起用することなのか(人とつぃての問題)または著作の中(論文じゃないですよ)で適当な参照をするひとなのか?
これが学術論文で査読を行うのであれば、そのような手続きは厳密だろうし、同業者のピアレビューはそれだけ信頼できるものでなければならない。しかし、深井氏の著作は別に学術論文として書かれたものではないし、これで深井氏が学位をえたわけでもない。松井氏が今後深井氏の博士論文などにあたってこれが不正であることを証明すれば大きな功績と思うのだが、なぜ最近の書き飛ばしたような本ばかりを相手にするのだろうか?ぜひとも学位をとった論文や査読付きの論文についてもっと調べてほしい。
しかしそうはならないのが松井氏だおそらく小林氏を援用していることも考え合わせると松井氏のいいたいのは”編集”、”出版”という著者と別の存在がどういった責任を取るべきなのか、ということなのだろう。すくなくとも松井氏は編集者についてはかなりの責任を負わせたいようだ。しかし、編集者は校閲者ではない。そうなるとどこまでなのだろう。そういったところをもっと書くとよかったのにと思うのだが、、、
ちなみに松井氏がどちらかというとおそらくは深井氏に対して懸念を示したことで肯定的に書いていると思われるM氏について、昔小生は坂口ふみ氏の『個の誕生』について、結構適当と感じた書評を書いているのを読まされたことがある。坂口氏のこのような書物はまさにエッセイという形式で学術的な引用とかなり違うのだが、松井氏などからするとこういった著作はどう映るのだろう。ちなみに岩波ではもしかすると同一人物が深井氏も担当していたのかもしれないと思っているのだが。
最近校閲者に不満をもった著者が校閲をオープンにした。逆にこういった著作者は松井氏にとってどうなのだろう。そういったシステム的なところまで考慮する。しかも、学術論文と学術書、学者が書く一般向け書物でどうかなど比較してくれると今回の問題はもっと広がりが出たのではないだろうか。
さらにいえば、例えば小生は松井氏がたまたま挙げているある神学者のエッセイを読んでいて(のちに本にもなった)おやっと思って元の本を読むと、思った通り重要な一語が抜かれていた。おそらく著者にとってはそのあとをつなげていくのに明らかにないほうがいい一語であることはわかったが、しかし小生はその著者のいいたいことを曲げていると感じた。それでも通るのが神学の世界だとすると、まあ深井氏のような人が出てもおかしくはないなとも思ったものだ。
ということで、ほかの学会に所属する学者のことをあれこれいってもしょうがないのでは。特に神学者といっても牧師が本業の人たちは説教をするつもりで論文を書くので学者とは違うのではないだろうか。