朝日新聞2月2X日スポーツ欄

スノーボードの選手がお互いをたたえあう姿をみて、確か朝日新聞の元ジャイアンツの松井秀喜氏と同級生であることが売り物の記者が、高校自分の自分は先輩や監督の目をおそれてどうのという記事をかいていたように思う。見つからないのでうろ覚えだが。

まあそうですかとしかいいようがないのだが、もし野球が今でもそうなら何とかしてくださいとしかいいようがない。

しかし、もっと重要なことは、なぜスノーボードの選手は国を超えて、難しい技に挑んだ選手をリスペクトできるか?ということではないだろうか?そこには記者の視線はいかないようなのがもっと深い問題だと思った。

考えてみると、今はいろいろなスポーツで、国というよりは、そのスポーツをする人たちが一つのファミリーという感じが強くなっているのではないだろうか?

それはたとえば野球などでもMLBでのワールドシリーズでのベシア選手のご不幸をブルージェイズの選手も悼んだようにチームを超えても行われるし、例えば国際試合で最後の試合のベテランなどを相手チームも一緒にたたえることもよく見る。

考えてみればスポーツの選手は同じルールの中でゲームを行ったり得点を競ったりする中で、それがもりあがればもりあがるほど、放映権料なども上がっていって、自分たちの価値も上がる、という極めて経済的なこともあり、また、感覚的にも世界各地で一緒に回って歩くテニスなどのような世界はより家族的な感じになるのだろう。

ということで、スポーツの中での”国”というのは確かに属性ではあろうが、例えば昔のように”ソ連””チェコ””中国””東ドイツ”というような社会主義国と”米国””西ドイツ”といった資本主義諸国の対決、ということもあったが、今やもうそんなこともなくなったように思う。そうなると国の違いというのもそのようなイデオロギーの違いというよりは、割と変わりやすいもののようにもなってきて、という感じかと思われます。もちろん宗教的なバックグラウンドなどは今でも大きいのかもしれませんが。

なのでそうした世界で相変わらず国別のメダル数とかを競うのもどうかなあという気がしてます。