大河原化工機事件の東京地裁での判決が下った。
とても不思議な事件だと思う。
そもそもがこのような工作機械についての専門家を警視庁が抱えているとも思えない。
検察も同様だ。そうなってくると誰かを頼んでいるのだろうが、その”誰か”によっては、これまたとんちんかんなことをいうひともこういったニッチな分野だとたくさんいそうだ。そう考えると、かなり技術的な部分については考慮が必要だったと思うのだが、そこについて、どれだけ詳細に詰めたのかは今回わからなかった、というか、裁判で出てきたのは”あまり詰めてなかった””容疑者の自白に頼ろうとしていた”ということなんだろう。まさかとは思うのだが、公安としては、そういった分野についても目を光らせているというアピールを狙ったものということはなかったのだろうか。
しかしもっと問題なのは、この問題を報じる新聞やテレビのニュースなどで、最初から不適切だといっていた社はあったのだろうか?
警視庁のアピールに乗っかっていた社はいなかったのだろうか?検証している社はないようなのだが、それでいいのだろうか。
もし、マスコミが当初から疑念をアピールしてしていればここまでのことにそもそもならなかったのではないのか。むしろ、記者クラブを中心としたマスコミの報道が、民主国家であるはずの日本でこのような密室の取り調べを生んでいるのではないだろうか。まあマスコミにはそのような反省は見えない。きっと大河原化工機という会社は新聞広告をだすような会社じゃないから無関心なんだろう。それよりも記者クラブで浮くのが怖いという損得によるのではないか。
また、こういった技術の問題が出てくると、新聞記者の理解の問題も出てくる。ちゃんと理解して書かないと警察の発表をそのままのようになってしまうことになるのでは。
こういったマスコミが民主主義を腐らせていく。そのような論調をぜひとも見たいものだが。