「石破君も覚えているはず」 クリスチャン首相、神社に祈る胸の内は:朝日新聞
このような記事がでた。なぞの記事だ。例えばこのひとは、海外からの他の宗教の信者が神社で賽銭を出したりすることについてはどう思っているのだろう?
そう考えればもちろん海外にも神社に足を踏み入れることはタブーのひともいるだろうし、現在のインバウンドをみれば、そのようでないひとも多いことはわかる。
翻って、なぜ田玉氏がインタビューした人はこぞって首相の態度に反対するのだろうか?とても不思議な気がする。というか反対する信者の声が大きいためにあたかもそういった人たちが多数だということを朝日新聞が考えているのか、または、朝日新聞が考えるキリスト教信者像に適合しているのだろう。特にプロテスタントはどちらかというと意見の相違により教派が分かれているというのはたとえば米国の福音派を見ていても、プロテスタントは彼らだけでないもっと他の政治的なスタンスをとる人たちも多数いることを考えればすぐにわかる。したがって、田玉氏がインタビューした人たちは自らの信念で述べてはいるのだろうが、カトリックと違って、プロテスタントの”正統な”意見など存在しない以上はそういったものとして理解すべきだが、田玉氏の書き方は違う。というか日本のある種の人たち(左右を問わない)は何かグルや”中央”に反することをいったりすると、それに対して、バッシングが内部で起こるわけだが、インタビューしている方々が所属しているプロテスタント団体はそういったものなのだろうか?
日本ではキリスト教の信者は少なく、あたかも全員が同じ思想を持たなくてはいけない、というのは朝日新聞の願望だろうか、、、おそらく朝日新聞の記者の中にも多くのキリスト者はいるだろうし、キリスト教主義の学校を卒業した人たちもいるだろう。そうしたひとにもインタビューしてみると、もっと多様な日本プロテスタントキリスト教世界の石破氏の見方を聞いてみたらどうなのだろう。
みなさん、あまりそのようなことを気にしてないのではないだろうか。もちろんそうしたことは認めないという記事のような立場のひともいるかもしれないのだが、また、一方では日本のキリスト教信者は家族の中でもその方だけということは多く、例えば葬式など仏教式で行うこともあるわけだが、それに出席したからといって、同じ教会の牧師や信徒が非難することはないだろう。記事の中の人たちは違うだろうが、まあそれが嫌であれば信徒は離れるだけなので、それはそれだ。
田玉氏のスタンスとして、聞きたい話だけを聞くということで”タイパ”よく書くということかもしれないので、あまり反例のような話をあえて聞くことはなく、こういうひともいるのだから、ほかの信者も見習えくらいの勢いなのか。