立ち読み読書感想文:聞いてはいけないーするーしていい職場言葉ー

山本直人 『聞いてはいけない―スルーしていい職場言葉―』 | 新潮社

いろいろと書いてあったが気になったのは”さん付け”へのネガティブな評価だ。

三木那由他さんの文章などもひいて、さん付けのルールが新入社員などにはストレスといっている。

小生が感じるところ、今の学生は昔よりずっと学年にこだわる傾向が強いと思う。たとえばテレビなどでも何個下だとかというような会話をよくしている。また、プロの野球(MLBNPB問わず日本の学校出身の選手)などでも”同学年”というようなことが言われたりする。小生の子供も高校の学年が上のひとには”〇〇先輩”といっている。こんないいかたは小生が高校生の時はしてなかったなあ。部活でも。逆に部活のOB会で昔は気楽に○○さん、といっていたひとが、○○先輩と呼ばないと嫌な感じになるようなのをみて驚いている。特に私学の名門K大学出身の方にそのような上下を気にする人が多いように思える。たしかにK大学は○○君と呼び合う習慣らしいのだが、それが上下のフランクな関係を作るものではないようだということかもしれない。

ところで会社だ。小生は○○さん付けは非常にいいと思っている。特に今どきの年功序列がなくなった会社で年功で○○先輩と呼ぶのも変だし、昔はそれが肩書とリンクしていたので呼びやすかったと思うのですが、今は関係なくなってますから。

だいたい、今は電話もあまりせず、TeamsやSlackでチャットが多いだろう。そうすると、そもそもの呼びかけ言葉などなくなってくる。この本の筆者は新入社員が先輩を○○さんとよぶことがプレッシャーというが、慣れだけである。

ただし、筆者の趣旨はそちらではなく、むしろ、さん付けがフラットな組織や若手でもモノが言いやすい文化を作るか?ということだろう。揚げ足取りはいけない。

確かにさん付けであればそうだとは言えないと思う。

しかし、逆に先に入った社員を○○先輩や課長とつけるような会社が若手でもモノが言いやすいか?というとそれはないだろう。論理学的にいうなら、若手でもモノが言いやすい会社ー>さん付け、ということは言えるんじゃないだろうか。

ただしさん付けー>若手でもモノが言いやすい会社、ということは全く言えないということはあるでしょう。

ただ、三木さんの論説は読めていませんが、さん付けをしてみるとはじまる雰囲気のようなものもあると思う。ことばが関係をつくるからだ。ちょっと三木さんが何を書いているのかはきちんとフォローしてみたいと思いました。