20歳の集いは楽しいものか?

自分は東京都の郊外の市からの案内をもらったものだが、行かなかった。

まあもともとが中学校の数を数えるととてもその市のホールでは入れるような数ではない。また、大学も多い市だったので10分の1も来ればいいくらいの感じでしょうかね。

今と違ってモノの配布もなかったような。

ということで最初からそんなことを書くと結論は見えているわけですが、最近のニュースを見ているとなんだかとなおさら思う。

まず第1がなんで成人じゃなくて20の集いなの?という疑問がある。なぜなんだろう。不思議だ。18歳というのは一体何なのだろう?

まあ着物業界の都合などもあるということかと思っているがどうなんだろう。確かに現実的に18歳の1月だと共通テストなどもあり難しそうだ。しかしそもそもが今の成人の日の根拠は男子の元服にあるようなので、それを引き継いでいるということだったらいっそ4月か5月に移動したらどうだろう。例えば18歳になる(高校生の場合は3年生の)4月にやるというのはどうなんだろう。選挙権も出るわけで、すごくいいと思うのだが。

幼稚化といえば各地でやっている、あの階段のぼりは何なんだろう。階段を登れないとしたら20歳としてどうかというなら、象徴的なんだからというかもしれないが、足の不自由なひとはどうなんだ?ちなみに小生は昨日たまたま車いすのひとと足で歩いているひとが一緒に成人式から帰ってきてる様子を見た。象徴的な意味を持たせるならなおさらおかしいと思う。階段上って大人になると思ってるのか?本当に幼稚な企画だ。

さらに気持ち悪いのはどうやら最近は中学校ごとに席を固める方針らしいことだ。みんな中学校をそんなに愛さないといけないのか?NHK教育テレビのたしかバリバラで八王子市を紹介するときに、最初に八王子出身者が会うと”どこ中の出身?”と聞きあうといっていたが、本当か?例えばバスケットボールで有名な某中学校などはおそらく市のあちこちから越境入学しているのではないだろうか?それ自体も嘘くさい話だが、なんだか中学校というのが地域の結びつきでそれがいいみたいな感じはうっとおしいなあ。さらに学校の先生もいくとか自分にとっては最悪に近い。実は小生は学校がよくわからないが全く適合しなかったのか、中学校に至っては完全に出席(欠席なし)ではあったんだが、受けた授業で覚えていることはほとんどなしなのですね。結婚して例えば合唱曲で”これ中学校でやった”とか、”これ中学校の国語の授業でやった”とかいうことがなんとほとんど頭に残ってないという、、、しかしそれは自分のせいだけでもなく、新設校であったので、先生たちはまずはこういう学校に放出されるのは厄介な人中心。野球の新球団ができたときと同じようなもの(ということにその時気が付いたが)ということでその厄介なひとたちが厄介なことをしだす方に向かっているので授業など身が入るはずはありません。そういう事情もあったと思われます。記憶では毎日のように職員会議を放課後やっていたと思うが、まあ行事一つでも会議で決めないとできなかったのだろうけど。みんなが学校の先生に郷愁をもっているかというとそんなことはないだろう。

ということでなんだか中学校で席を固めるというのもどうかと思うし。

そういえば小生の同僚で高校以降は暴走族として頑張った方は成人式の写真は見事に特攻服で決めていたらしい。これですよ。そのくらいの気合があれば20歳の集いうはとてももりあがりそうだけど、最近はやじの規制もあってそれも難しいみたいだ。

ということで小生としては成人式を本来の成人を祝うのであれば18歳の4月に移動して、公民としての自覚を持ってもらうようにしたほうがずっと役に立つと思うのだが。