朝日新聞1月7日付声の欄をよんで

朝日新聞1月7日の声の欄は続図書館についてだった。ここには大きな問題がある投書が並んだように感じた。まずは、民営委託で質が下がるということはなく、一生懸命やっている、というひとの投書。こういった投書はおそらくは同じ紙面の短大で司書の資格をとったひとの投書とそれほどの違いはないと思って読むひともいるかもしれない。しかし、わたしは今の日本の公共図書館での問題は、学校の問題もだが、こういった大学での過程を学んだひとへの信頼がないことだと思う。もちろん民営化しても司書を雇っているような会社もあるのかもしれない。しかし、それも問題で求人を見ると、せいぜいが1500円くらいの時給である、このような時給で2年間または4年間の勉強を経て資格をとったひとを雇っていいと思っているのがいまの大勢なのである。驚きだ。

図書館をほんの貸し出し場所とすれば、貸出は機械でもできる。民営の会社は自治体がそういった方向に向かうときどうするのだろう、、、

また、図書館は新刊書を買うのを控えるべきというよくある投書も相変わらずのります。朝日新聞はこういった投書を載せることにどういう意味を感じているのか、まさか新聞を図書館で読ませないようにすれば、販売が増えるということでしょうか?そうじゃないと思いますが。本は民主主義の社会の中できわめて重要なものです。そのような共通認識があるから公共図書館はなりたっているのでしょう。(朝日新聞の論壇時評林氏の公共ということばの使い方はどうもこれとは違うようですが)たとえば、ある病気のひとが、その病気について調べたいときに情報にアクセスできないのはまずい、とか、例えばある宗教団体について、問題を知りたいときに、買わないと読めない、では困ります。投書をしたひとは、人気のある小説が3桁まちだから、図書館になければこういうひとが買うはずだといってますが、3桁待つ人はきっとかわないでしょう。例えば投書者が書いている6か月にはけるのはせいぜい10人程度。3桁のひとに回るのは、もし1冊だとすれば3年くらいかかるとすると、もうあきているか、買っているんじゃないでしょうか。それよりも図書館が購入することでもっている、専門書が発刊されてからすぐに買われないことのデメリットのほうが大きいと思われます。

それにしても、図書館は民主主義を守る上で重要な施設だとおもっていました。

投書するひとのだれもそれには触れないというのはどういうことなのかと思います。

確かに私も目にするのは子供のために1回に20冊ぎりぎりの貸し出しを受けている親などです。例えば郷土の歴史についての本を聞いているひとは見たことがないです。(大きな図書館のリファレンスにいけば別なのか?)

朝日新聞社ではおそらく立派な図書室があって、調査には事欠かないのでしょう。なんだかな感じの紙面作成で、日本の将来に暗いものを感じます