朝日新聞を読んで(11月16日)

「図書館の自由宣言」なぜできた? かつて警察官が司書の机を…:朝日新聞デジタル

という記事がでていた。前の文科省北朝鮮拉致問題の本を若者の手に取りやすいようにしろという通達のあとの記事だ。しかし、私は自らの体験からこの記事にものすごい違和感を感じた。確かに図書館の自由は大切だ。しかし、私は以前、こどもと”ピノキオ”を借りたくて図書館にいったところ、貸してもらえなかった。

しかし、確かにピノキオに差別的な表現があるかもしれないが、それを読んだ子供が即差別主義者になるというのはあまりにも短絡的だし、要は自分たちのような専門家がいないところで読ませることは危険な本なので貸し出さないということなんだろう。これと同じような扱いを受けている本にちびくろサンボというのがあることは私も知っていた。しかしピノキオも同じ扱いとは知らなかった。ということで知らないようなおとなは正しく読ませられないので子供にも貸さないということだろう。しかし、そのような図書館の自由は本当に自由なんだろうか。なにか違う気がするのだが。専門家がいつも正しく判断できるので、一般人に教えてやるという”欠如モデル”はとっくに終わったかと思ったがまだまだ図書館の世界ではいきているらしい。