朝日新聞の感想文(知らんけど)

(耕論)使ってる?知らんけど 岸田奈美さん、田中ゆかりさん、永井玲衣さん:朝日新聞デジタル

12月10日の朝刊にこんな記事がでてました。もしかすると関西版に先にでていたのかもしれません。私自身初めてこのことばがはやっているのを知りました。

Twitterやネットで検索してもそれほどでてこないのは純粋な話ことばであるためでしょうか?最初の岸田さんというひとも私は書いたものを読んだことはないので、おそらくはその世界の有名人なんでしょう。自分で何か言っておいて何が知らないのかよくわからなかったので、まあたしかにあまり深い意味はないのでしょうが、それをつける気持ちは後のお二人が考察しているような感じで、特に永井さんのいっていることは正しいように思いました。怖いのは国会の杉田さんの答弁などを聞いていると、自分の過去の発言については”知らんけど”と言葉には出してないけどそんな感じを受けます。その場のノリで発言したり寄稿して、つっこまれると”知らんけど”と逃げる。いかにも関西人的な感じです。それがかっこいいと思うのはこの記事の最初のひとで、私は永井さんに共感しました。田中さんの昔の「なんちゃって」というのとの比較もありましたが、なんちゃっては自ら意図的に否定することばだと思います。しかし知らんけどはなにか自分が発した言葉として責任は持たない、という発言のように思います。そうなると、ヘイトのようなことばも、誰かが言っているから自分もいってるだけで、自分はいってないよ、という言い訳になります。一方、なんちゃってはヘイトのことばとは結び付かないと思います。例えば”お役所じゃあ組合が1時間の休みのほかにも休憩時間を協定で結んでいてさぼり放題らしいよ”のあとに”なんちゃって”というと、明確にそのひとはその発言は”あるわけないだろう”という同意を意味しているように思いますが、これに”しらんけど”がつくと、自分はそう思ってないけどだれかはいってる、というようなことになるのではないでしょうか。どうなんでしょうね。関西人のかたは、自分で恰好をつけすぎたような発言のあとに使う、というのが岸田氏のはなしなのですが。どうなんでしょうか。