座り込み(3)

座り込みの件で思い当たったことがあるので書いておきたい。

例えばバスや電車で”お年寄りのくせに態度が悪いので席を譲らない”というひとがいるとする。おそらくは”お年寄りに席は譲らなくてはいけない”という規範意識はあるのだが、席を譲りたくないための言い訳をしているわけだ。

今回の問題もおそらくは”沖縄に基地の負担をかけている状態はよくない”という規範意識があるひとたちだが、自分は反対運動に参加したくない(理由はそれぞれ)ということを正当化するために”反対運動はうそっぱちだから俺たちあ賛同しない”といいたいんじゃないでしょうか。特に若者代表でいろいろなメディアに取り上げられているひとのツイートにそれを感じました。おそらくはいいひとなので、沖縄の問題に反対しないといけないと思っている。しかし、実際に自分で活動するまではしたくない。その言い訳として、反対運動の人たち層を問題にした、ということではないでしょうか。

でもそれは最初のバスの例とおなじで、結局は反対運動をしたくないことの理由に無得ます。

別に反対するのに座り込みを絶対一緒にしなくてはならないということはなく、例えば東京の霞が関で某氏やそれにいいねをしたうち何万人かのひとたちが座り込みをすればいいんじゃないかと思います。ぜひとも”俺たちが正しいと考える”座り込みを見せてほしいですね。ちなみに国葬の日わたしは全く別の場所に集まっているひとも見ました。なので沖縄の人たちも沖縄の外で座り込みをしたから駄目だなどとは言わないと思いますが。