朝日新聞佐伯啓思さん異論のすすめ

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佐伯さんの論説で違和感があったのが、容疑者が安倍氏をねらったことのつながりはないということをいっていたことです。佐伯氏の論調で言えば、おそらく保守とはどちらかというと容疑者にとっては、日本という国の中でマイノリティとして攻撃的な活動をしている統一教会(協会)から自分たちを守ってくれるものであったのではないでしょうか。それがはっきりと違うことがわかったことで、例えば新聞に投書するなどということをやってもおそらくは何も変わらないという絶望からあのような行動にでたということではないでしょうか。そうするとそこには論理的なつながりがあって、決して説明がつかないことはないと思います。なんでそれを飛躍があるといっていたのかはなぞです。もちろん祖父の岸氏からの反共という米国からの指示?である活動を受け継いで、安倍氏統一教会(協会)にコミットしていたのでしょうが、反共と保守や国益がバッティングしたとしても、旧統一教会(協会)から抜け出せなくなってしまったところに安倍氏の政治家としての弱さを感じました。もしかしたらそれも、強さをもつはずの保守の政治家としてはありえないし、容疑者が落胆したところかもしれません。

とにかく、いま日本で容疑者の動機に連続性があると思う人とないと思う人のふたとおりがいて、結構多くはなんとなくわかっていると思うのですが、むしろ知識人といわれる方にはその素朴な感覚が理解されないように思います。それはたしかに思想的な論理性ではないかもしれませんが、感情的な論理としては十分理解できるところで、その断絶は日本の絶望的な論説の状況を示しているのかもしれません。