朝日新聞10月14日朝刊をよんで

(多事奏論)旧統一教会の解散請求 「ヤバないか?」ある宗教者の懸念 田玉恵美:朝日新聞デジタル

こんな論説が出てました。紹介されているのは日本基督教団の豊岡教会の牧師である小林 聖さんという方を取材したいます。

朝日新聞に前からでている日本基督教団自体の解散命令へのコメントもそうですが、

対教団、踏み込む 信者落胆「変化見えた矢先に」 解散命令請求:朝日新聞デジタル

日本基督教団では自民党との関係を隠すためのことで自民党の責任もある、ということで反対ということであるようです。これはなかなかほかの宗教団体と違っていて、ほかの団体はもっぱら宗教団体の解散命令が恣意的と思われる形で出されていることにのみ言及しています。

ということで説明がホームページにあるのかと思うとそういうことはなく、朝日新聞がどういうところに聞いたのかも不明だし、この見解がもし、同じ小林氏に聞いて書いているとしたら、それはないだろうという気もします。

日本基督教団という団体も、このような見解はそれなりの規模なのだからホームページなどで出すべきではないかと思いますが。

それはさておき、内容的にも問題がある。日本基督教団に小林氏のような立場をとる人たちがいることはよく知られていることでそれ自体は否定しない。しかし1600人以上も教職者がいるらしい教団でひとりの牧師をわざわざ?兵庫県まで訪ねて聞かないといけない意見なのかは?だし、東京の本部で聞けばいいんじゃないかと思うのだが、、、前に田玉氏は関西にいたようなことも書いていたような気がするので、その時の知り合いでしょうか?

ということですが、内容としては、別に政府がどうこう言うからみんな解散といっているわけではなく、例えば親戚がキリスト教にいると、お葬式にきても(または来ない)ひとりだけ違うことをされる、とか、某宗教団体に入ると選挙の前にいきなり訪ねてこられるとか、某宗教団体の本がなぜか大手の書店では良く売れていたり、商店街の目立つところに会堂があったりする、とか、神社もなんだか好き勝手に自分たちの公園だと思っていたら、そこの所有地で、いきなりビルを建てるぞ見たいなことを言い出すとか、そういうのをみてどうもなー、と思うのではないでしょうか。

それに問題は善意での地域の活動や行政への関与を党派的な活動にしていることだと思われます。例えばPTAの集会に自分たちの見解を述べるようなひとを招くとかです。しかしこのやりかたは前例があって、おそらくは小林氏がいいと思うような人たちの地域でそういうことをやってる人はいないでしょうか?私はいると思ってます。そのやり方をまねているのが今の状況で、地方公共自治体の行政への関与はかなりのものがあると思ってます。ということでそれは大きな政府の話ではなく、むしろ地方公共自治体の中での無関心と。それでもってそういうところでの思うようにならなさを抱えた人たちが例えばジェンダー教育などについて、国会議員に不満をいうと、ワーッと取り上げてその先兵として自民党は党員があまりアクティブでないところを補う働きをしていたということかと。そういうことでもともとそういう小集団でもアクティブな人たちが意外と地方公共自治体の行政を動かせるという手法自体はどちらかというと小さなところから始まったし、それに対してのちょっと違和感というのが積もり積もって統一協会への一般人の関心のなさになっていたのではないかと思ってます。

ということで小林氏がいい、そして田玉氏がいうことは、日本基督教団の宗教者としての立場というよりは市民としての立ち位置での発言と思いますので、タイトルからしてどうかと思ってます。

朝日新聞としてもこういった論説はその団体を代表しての意見なのか、それとも記者が任意に選んだ人なのかは根拠を明らかにすべきでないでしょうか。以前米国のトランプ支持のアクティブな活動家を一般市民のようにして紹介していましたがこの記事も1600人以上教職者がいるらしい、日本基督教団の中のどういう立ち位置の人、また同じく1500以上はあるらしい中でどういう教会なのか、いくつくらいの教会が同様に教会として声明をアピールしたりしているのか、そこに問題は?といったことは書く必要があると思われます。