読まずに書く音大崩壊から

8月6日の朝日新聞に音大崩壊という本の書評を神林龍さんという経済の先生が書いていた。著者も銀行から転職した人のようだ。

まあ音大は確かに入学者が減っているのだろう。そしてどうもこの本には一般の4大への進学者が増えていることなどと関係しているように書いてあるらしい。一般の大学から一般の企業に勤めたほうがよいということだ。しかし、もともとが、特に著者が務めた大学などは芸術を極めるよりは音楽が好きな高校生がこういういいかたは失礼だが大卒の資格を取るためにいっていたというおtころもなくはなかったか?ちなみに超有名な音大でもそういうひとはいるようだ。

しかし、これは一般の大学のそれこそ経済学でも同じことでは?。

学問にしろ芸術にしろ、一般のひとが価値をわかるのはその人が死んだ後だったりすることもあるくらい、現在の”市場価値”ではかれないものがあるのは常識と思っていたが、違いますかね。つまり、現在お金を稼げないから日本や世界にとってずーっとこの先も価値がないかといえばそんなことはないという世界だおもわれます。

また、一方ではこの国はツイッターで話題になったように音楽というのはただで聞けると思っている人もいるくらい、音楽家への理解というものはない社会であるということです。先ほど書いたこととは反対ですが、社会が適切に音楽の価値を認めて、きちんと対価を払わなければいけない、ということが特に日本ではわかってないのでは。

また、先般のオリンピックなども、たいていの国はクラシックの作曲家がファンファーレをつくったり行進曲を作ったりして文化を宣伝しますが、日本はそんなことはしませんでした。クールジャパンということなのかサブカルチャー中心でやはりああいった場面では物足りないとしか思えませんでしたが、まあそう思わないのが日本の政治に携わっている人たちなのでしょう。要は日本ではそこで披露されたようなゲーム音楽のような親しみやすい音楽が価値があるものであるのでしょう。そのことは、ゲーム音楽の作曲家が現代音楽の作曲家を”外注”として使っていたことにも表れています。そんなことが不思議でもなく行われることを憂慮します。

ということでこういった本を朝日新聞という日本の一流紙とみなされている新聞が書評の対象としてえらび、さらに一流の経済学者が好意的な書評を書くあたり、なんともな感じがします。チャールズ・ローゼンさんの新刊とかは朝日には書評が出ないんですよね、、、そもそもみすず書房の新刊の紹介はほとんど最近出てないような。