キリスト教の本の書評誌

キリスト教書の書評まとめ読み - 本のひろば.com

という書評誌があります。書店でただで配っているので手に取る人も多いだろう。

しかし、手に取る人は多くてもたいていは何か面白くない書評誌としか感じようがないのではないだろうか。私自身はそうである。

この本の書評が一般と違うおもしろいところは書評される対象の本の著者の肩書などの紹介は書評者に任されているということだ。なので、何年生まれのようなことはわからない。気の利かない書評者だと著者が何をしている人なのか(たいていは司祭、牧師などの聖職者か大学の先生だが)もわからない。しかし、書評者の紹介は書かれている。見たところ、著者の名前よりも書評者の名前が大きかったりするので、私自身最初は書評者が著者かと思っていた。そして、驚くべきことに場合によってはあたかも書評者の見識を示そうという感じのいってみれば自意識過剰な感じの書評もよくみる。ということで、この本から実際に書評された本を読んでみようというひとはどれだけいるのか、という感じなのである。これと似たものを見た記憶がある。いろいろな大学や学会の紀要にのる書評である。ただし、それらは大体が書評者の仕事としてやっているもので、業績一覧にもかかれるほど、人文系では専門書を専門家のコミュニティに紹介するのは重要な役目であるようだ。しかし、それは当然だろう。あるコミュニティのひとは当然もともとがその本に書かれているようなことは”知っている”ひとたちで、その人たちにとっては、”何が新しいのか””著者の視点は何か”という、既存の出版物との”差異”がわからないと意味がないからだ。だから、それは書評者の見識を示すものとなり、業績にも加えられたりするのだろう。そこが全く分かってないのがこのほんの広場を担当している人たちなんだと思う。

そして実はそれはこの書評誌だけじゃないような気がしている。本来この小さい冊子が一般書店でも置かれているということは、一般書店になかなかないキリスト書も注文してでも買ってください。ということではないのであろうか。それがうちわの話に終わってしまう。そしてそれはキリスト教が日本で伸びない理由ではないかとも私は疑っている。ようは、仲間内だけの話を心地よくできればいい、というようなひとがキリスト教の関係者、特に聖職者におおいんじゃないだろうか。このスタイルは何年も続いてきた、といわれるのかもしれないですが、これまた、一般人には常識ですが、店に宣伝の材料を置いてもらうのはただじゃないです。店の棚や場所はすべて賃料に含まれてます。そこを使わせてもらう以上は店の売り上げにつながるような冊子にすべきじゃないか、と思うのです。なにかこの団体自体に一般人をちょっと下に見る感じをそういうところからも感じます。