小原克博同志社大学教授(朝日新聞2022年9月18日)

(Sunday Wide)「政教分離」の原則 政治と宗教、あいまいな線引き:朝日新聞デジタル

こんな記事がでてた。朝日の記者がインタビューしてまとめたようなのでどこまでが小原氏の本当の意図かわからないところもあるが、なんともよくわからない記事だった。

まず、政教分離の原則で戦前と戦後を分けるのに戦争協力をいうわけだが、それであれば、例えばキリスト教なども戦争に協力した。そして、じゃあ英国や米国ではどうかといえば、当然のように軍隊についていく聖職者がいたり、日本でも基地の中に教会があったりして、宗教は軍に協力しないわけではないし、それをもって政教分離できてないとは言わないだろう。

例えばわたしが日本で政教分離からどうかと思うのは、神宮外苑神社本庁のものらしいのだが、そこに国立競技場などをたてて、いわば神社本庁がもうかるように国がお金をかけるとしたら、それはどうなんだろうということがある。きちんと一度国は土地を購入すべきではないのか。だらだらと地代を払い続けるのはどうも問題があるような気がする。

そのような神道の特別扱いが日本での政教分離としてとわれるのだろう。しかし、それは、例えば天皇の即位である部分は神道の行事だから云々ということではなくて、やはり特に利益供与が行われるのはまずいということになるのだろう。

なので私は政治家が特定の宗教を支持してビデオでお墨付きを与えるのが悪いというつもりはない。逆にお墨付きを与えるということを意識して、そういうことをするなら責任を持ってほしいと思うのだ。また、繰り返すが直接的な利益供与はありえないだろうと思う。旧統一協会(教会)へのビデオ出演は問題ありと思うが、それは、その団体またはその関連団体があきらかに反社会的な団体だからだ。自民党のだれかが、頼まれれば祝電を送るようなことを言ったらしいが、政治家の祝電はもっと責任を持ってもらわないといけない、というのは当然だと思う。

小原氏の議論はなにかあまりにも政教分離キリスト教の立場からいっていて全く無駄だった。もちろん紹介にあるように一神教について研究しているひとだそうなので、もともと憲法学者でもないし、歴史のひとでもないので、そういう批判は違うのかもしれないが。

フランスの反セクト法が政治と宗教を厳しき分ける表れといっているのもよくわからないところがある。逆にイスラムに対してのフランス政府の圧力は到底政教分離とは言えないものを感じる。

最後の「いま日本にある平和を正しい形で維持していくためにも宗教リテラシーを学び議論していくしかない」というのはもはや意味不明。宗教と平和は関係ないでしょう。なぜなら宗教的な平和と政治的な平和は全く別で、小原氏もいっているように第2次世界大戦までは国家神道が戦死という悲劇に宗教的な平和を与えることに役立っていたわけだし、そもそもが宗教的な平和は地上で得られるのだろうか?とも思う。逆に戦争をしていなければ宗教的な平和であるなら、歴史的に宗教が原因でおきた戦争というのはありえないことになると思うが、全くそんなことはなく、むしろ宗教は戦争の火種といってもいいほどだ。結局宗教が求める平和と政治が求める平和は別物で、それが別なのである意味宗教的な伝道への欲望などを危険な場合抑えるのが政治だといってもいいのではないだろうか。小原氏の議論はある種の方々の、憲法9条をまもって日本の平和を守れ、というような話と非常に親和性が高いものを感じる。しかし、それも、世界には日本の憲法9条がなくても、戦争をしていない国はむしろ普通なのであって、どうもあまり説得力は感じません。