政治家の引用とは(朝日新聞1月1日)

朝日新聞の1月1日付の多和田葉子氏のインタビュー記事について、世田谷区長の保坂氏が次のようなことを書いているをしている。

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2014年の代表作「献灯使(けんとうし)」は原発事故を想起させる厄災後の日本が舞台だ。107歳の壮健な男は、ひ孫をケアしながら、仮設住宅で細々と暮らす。子どもたちはカルシウムを摂取できず

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これがインタビュー記事と絡むと、新聞記事を読まない人や小説を読んでいないようなひとは、福島の原発事故のあと、実際このような症例は発生していな、などということを言いそうだ。

しかし、小説の意図は、今回インタビューで説明されているとおり、一種の思考の実験のようなところがあって、決して多和田氏が、原発事故により、こどもの体が弱くなっているなどといっているわけではない。

この引用を読むと小説はそのようなことをいっているのかとおもわれないか気になった。

というよりは、保坂区長がこの小説をどう読んでいるのかも気になるところだ。

保坂氏という人は一見リベラルを装ってはいるが、2021年の4月の緊急事態宣言時になぜかいち早く区民センターの使用を止めるような指導をしたことで知られるひとである。そういうひとであるので、この要約の仕方があたかも原発の影響を書いているかのように、見えることが心配だ。

多和田氏が書いているのは、この記事を読めばわかるが、原発云々はあくまでもフィクションとしてのきっかけで、本題は、記事でも触れられているように、若者が年寄りの介護をする、というような考え方では済まない社会がやってくるという、自民党菅前首相の自助共助にもつながる雰囲気すらあることだと思う。もちろん多和田氏はそのようなことを言っているわけではなく、若いから強い、年取っていると弱い、というようなことを前提とした社会が誤っているのではないかという問題を突きつける。

このような政治的に引き付けた読み方をする傾向があるひとなのかもだが、それを広く一般人も見るX(旧Twitter)に区長が投稿するのがどうか、ということはある。ジャーナリストの肩書もあるので、意図的な記事を無視した投稿かもしれないが、やめてほしいものだ。