日本のマスコミに感じること

新しい内閣が発足した。いろいろとあるけれども基本的にはあまり盛り上がらない感じだ。

それにしても日本のマスコミはなぜたんぱくなんだろう。淡泊というのは別に権力者を追求するしないの立場関係なくだ。某女性議員が復活を遂げたことなどもあるし、また、某事務所についてもなんだか社長が交代してガバナンス強化で終わりそうだ。某宗教団体についても終わりか?まあ某宗教団体については、追及していた某弁護士の文部科学大臣擁護には露骨すぎてびっくりだった。某弁護士や某検察上がりの元国会議員弁護士といった人たちは基本的にはそれほど国に逆らうつもりもなく、審議会などで活動して、大学の教授職などを得られればいいっていう感じなのだろう。なんだかである。本当に日本はなぜそうなんだろう、と思うと、やはり民間の力が弱いこともあると思う。民間といっても力があるのは大手の労働組合の外郭団体だったりするわけなので。または、さらに言うと某政党の息がかかっていたりする。

これはプロテスタント教会のように信仰告白を作って終結したりする習慣がないことが原因だろうか。結局は日本のプロテスタント教会がそうであるように、”偉い先生”につながる人たちがシューレを作ってそれが教会になってしまったりする。(それは無協会だけでなく、教会の形をとっていても、実質偉い先生の指導で成り立っていた教派もおおいのでは?)それはなぜかはわからないのだが。

そのことがスポーツ界などでも醜い集団をつくることは、最近朝日新聞で見たような気がする某体操選手とコーチが相変わらず組んでいるというのを見たときに感じたり、高校野球で一回退任した監督があっという間に戻ってきて、それを朝日では息子をその高校で野球をやらせている某プロ野球選手に正当化するようなコメントを離させていることからもある。おそらくは○○先生の指導を受ける、ということが目的なのだろう。極端にいうと、熊本の高校であったと思うが、選手を監督が連れて行って、それが終わるとあっさり解散のようなこともあった。なんだろう。日本では集団の伝統がことばによってつながるのではなく、個人のカリスマによっている。それはおそらく日本という国がそうであるからなのかもしれないとも思ったりする。ふー。