オリンピック雑感

オリンピックは閉会式を迎えてこれからパラリピックを迎えようとしています。

なんだかオリンピックはスポーツといってもいろいろとあって経済的には分断されていることがはっきりしたように思います。

ひとつはオリンピックが世界的な大会として一番価値があり、やってもらわないと、なりたたない(国からの補助などないとやっていけない)スポーツ。

もうひとつは自ら世界大会などをできてオリンピックがなくてもやってけるスポーツ(例えばサッカー)です。

野球などは極端で米国は平然と無視してメジャーリーグの試合を続けてました。ここまでやられるとあっぱれとしかいいようがありません。

また、感じたのは、選手たちのコミュニティというのは国を超えていて、日本も昔からマラソンの選手が日本の会社で働いていたりというのはありましたが、一番目立つのはバスケットボールで米国のリーグに所属する選手が多いことです。

なので、バスケットボールのアルゼンチン代表のスコラ選手が最後に退いた時に会場で本当に自然発生的に、というよりは、相手のオーストラリアはアルゼンチンの選手のかなり乱暴なファールに荒れ気味だった雰囲気だったのに、オーストラリアも含めてスタンディングオベーションがありました。ほかにも陸上の男子800mでもつれた選手が励まし合ってゴールまで走ってほかの選手が駆け寄った光景などはそういった選手のコミュニティが形成されてないと難しいんじゃないでしょうか。

また、そうなってくると、結局どこの国の選手といってもあまり意味もなくなって、しまうということなんじゃないでしょうか。

国と言えばこれを機に日本の国籍についても少し考えて欲しいです。銀メダルをとった女子バスケットの記事で馬瓜選手のことが紹介されてましたが、両親は彼女が日本代表になるためには帰化が必要ということで帰化されたとのことです。しかし、彼女のように日本の学校で育ったようなひとが、なんで両親が帰化しないと日本代表になれないのかは疑問です。これが両親のどちらかが日本人だと日本に住んでなくてもOKだし、名前も全部カタカナでもOKっていうのはなにか不合理な気がします。もっと世界の中で国を跨いだ移動が盛んに行われることを前提にした日本の国籍のありかたが必要なんじゃないでしょうか。または日本がいまのような国籍の考え方をとおしたいのであれば、競技団体なのかもしれませんが、代表選手の基準を日本のような国もあることを前提にしろということもあるかもしれません。国が関係することと言えば例えばドーピングの管理などがあるのでしょうけど、実際テニスやゴルフの選手やNBAでほぼ1年中米国にいる選手のドーピングを各国の競技団体が管理し切れるのだろうか?と思うとおそらくはそれぞれが所属する団体に任せているのではないかと思うのですが。

ということでつらつらと思ったのは、すでに、オリンピックはなんだか意味なくなってて、マイナースポーツやスポーツが発展しない国への援助はもっと別のスキームでやるべきでは、ということです。それを目的にちゃんとお金を集めた方がすっきりします。世界のスポンサーだって経済試算を信用しているわけではないけど、まあ政府にしたがっておかないとね、くらいでしょう。オリンピックが開催国に多大なメリットがあるとおもっていたけどそれは幻想だったというのが今回の東京オリンピックであらわになったことではないでしょうか。1番のメリットの受益者であったはずの政府が一番信用を失う結果になったのですから。これから贈賄で捕まる人などもでてきたらなおさら政府の監督責任もとわれるのでしょうし。