岡口基一氏

岡口基一氏という仙台高裁の裁判官が職務停止になったとのこと。

どうやらいろいろな発信を上司の指示に従ってやめないことが問題なのかという感じだ。

私たちが裁判に対して信頼を置くのは当然で憲法に定められたなかで法律の判断をゆだねられている唯一の機関だからだろう。

そして、その権威を持つのが裁判官だからそれはひととして立派であってほしい。

しかし、立派なひとというのは個人によってかなり異なるのではないだろうか。そうなるとわれわれが裁判官にのぞめるのはせいぜいが法服を着ているときであって、またそれに準じた裁判所の中にいるとき、また、外では非人道的な刑事事件を起こさない、という程度ではないだろうか。また、当然職業上知りえた秘密の暴露をしないなどもあるだろう。

そうなると、たとえ9割の人が変な人だと思っても、仮にそれが裁判に影響しないのであれば我々はそれはその人の人権として許容すべきではないのか。

なにかそういった高度な話ではなくて、”上司に従わない困った人を排除する”ということに無駄な資源が投じられているような気がしてならない。もしこの人のツイートが”〇〇首相に反対するとはとんでもない。そんな人たちは半日ですね”のようなものであったとしたらここまで問題は大きくなったのだろうか?結局このかたを支持しているのが主に某政党の方や、御父上がキリスト教の牧師らしいので、そういった背景が関係しているように思えてならない。このわたしの思えてならない、という疑問は本来は国民の前に理由を明示すべきと思うのだが、それも学術会議と同じように”人事なので明らかにできない”ということになりそうだ。本当にそんなことでいいのだろうか?
米国では支持政党が明らかな人でも裁判官はOKらしい。どうも日本は”違いがあるのはいけない”ということにいまだにとらわれすぎなのではないでしょうか。むしろ、”自分はこういう意見を持っている”ということをはっきりしてくれたほうが、そういったことに関係する裁判の裁判官として忌避する理由になるでしょうから、そのほうがフェアなんじゃないでしょうか。などいろいろと思うところがある話でした。