朝日新聞2024年3月20日なぞ記事

「旧体制」復活への強い危惧 憲法学者が考える自衛隊の靖国参拝:朝日新聞デジタル

朝日新聞のオピニオン欄に自衛隊靖国神社参拝をめぐる3人のひとの意見が出ました。

一人目としてあがっていたのがリンクの記事です。

一番違和感なく読んだのが守屋氏の記事。一番ひどい内容と思ったのがリンクの記事だ。そもそもが人選として、この方の所属する大学に憲法の先生は何人いるのだろう。また、学会での発表などもしているひとなのだろうか?そうでなければ、”憲法学者”という枕詞は不適当と思う。大学の中で同じ分野の専門家がいて、相互に高めあい、学会で他の大学の研究者の前で発表を行い批判を聞くのが学者ではないのか?

ということで前置きはともかく内容にはいると、びっくりなのはこのひとは”旧体制”という。我々が憲法の時間に教えられてきたのは、憲法は二つの部分があって、人権と統治形態だ、ということだ。でこのひとがいう”旧体制”というのは天皇を総帥とする軍の復権とそのもとでの体制であるようだが、この人が挙げるのは憲法1条と、9条、20条だ。これらのうち、20条は明らかに人権のことだし、1条は天皇の位置づけ、9条は戦争放棄として知られるところだ。そして統治の形態は三権分立を定めて、内閣、国会、裁判所を定めているというのが一般の教えだと思う。

それを突き崩す存在として先に挙げた天皇自衛隊がある、というのは憲法の解釈上どこをどうするとそうなるのか全く分からなかった。

この人の言っている旧体制というのは大日本帝国のことのようだが、世界のあちこちを見ていればわかる通り、例えばイギリスなどでも、王が神に統治の点では優越しているが、そこに問題を見出しているのだろか?それとも日本だけが軍が天皇を担ぐという形になるということなんだろうか?しかし、天皇を担ぐことと靖国神社を参拝することの間にも開きはあると思う。

この人の論理は自衛隊の現役幹部が靖国神社を参拝したのは天皇を神とする旧体制の復活につながるというが、それよりは守屋氏の、自分たちの先輩を敬う気持ち、というほうが説明としては無理がない。

守屋氏の指摘通り、そういう純粋な気持ちも、ある方向で利用される恐れはある。したがって守屋氏がいうとおり 、日本はきちんと国のために死んだとみなされる人の追悼の場所を作る必要があるのだろう。もちろん自衛隊員だけではなく、例えば冤罪で死刑になったことが後からわかった人なども追悼する必要はあるし、国の誤りにより、なくなった関東大震災の外国人のひとなどもふくまれよう。

ということでこの斎藤氏というひとがどういう理由でこの欄に選ばれたのかわからないがひどい記事だった。