日本のマスコミの不思議(大谷選手の結婚相手から)

本日の米国のニュースではドジャース大谷選手の新しいパートナーの名前が報道されているようだ。経歴も報道されているようだ。

しかし日本では”結婚相手とみられる女性”という表現にとどまっている。

いったいこれはなんだろう。

こういったことは大谷選手の結婚相手のことだけではない。例えばバイデン大統領がUSスチールの日本製鉄による買収について、コメントしているのも、だれも日本の政治家にまともに取材しようとしないのはなぜ?本来こういったことは国歌案件になったのだから、国家が責任をもって対応してくれなかったら民間会社はやっていられない。

われわれは海外からの情報で知るのみだ。

そういえば正月の能登半島地震もそんあことだった。海外の記者が現地から報道できるのに、日本は記者が入っていかなかったようで、海外のテレビ局のような報道ができなかったようである。

そういえば3.11に付随して起きた原発事故もそうだった。海外では早々にメルトダウンをいっていたが、日本ではついにその言葉は使われなかった。

いったいこの日本のことばのタブーはなぜなんだろう。