賃金が上がる条件

賃金が労働市場によって決まるのでは、と書きましたが、さりとて実感として、労働者がいつも自分の仕事の賃金を眺めて、すぐにあっちこっち動くものでもないと。それは日本だけではないのではないでしょうか。もちろん日本よりも流動性が高い国はあると思います。しかし、どの国も、例えば賃金市場がオープンになっているような国まではないのではないでしょうか、といいつつも北欧などはそうだと聞いたことがあります。また、米国の野球なども本当にあけすけな感じで、日本はなんで秘密にするんだろう(推定)と思います。結局これは経営者の思うつぼなんじゃないでしょうか。

例えば自分よりも打率の低い選手が年棒は高かったりすればすぐに不満は出てきます。会社も同じで、みんな給与が分かって何が悪いの?という気がします。実は年功序列賃金というのはその点で非常にある意味オープン。違いがあってもそれほどではないでしょう。ところが今はジョブ型とかいっても結局はオープンにしないことで労働者の不満を抑えているように見えます。

ここは発想を転換して、ぜひとも日本も社員の給与はオープンにしてみたらどうでしょう。当たり前ですけどジョブ型なので本来はオープンなはずですよね。

それなのにそれなのに結局”差をつける”ためにやっていることなので、それをオープンにしたら、特に35歳以降くらいの働き盛りの間で大きな問題が起きるように思います。小生はジョブ型雇用とは結局35歳以降徐々にマネジメントにならない人をふるいにかける制度のように思ってます。日本ではということですが。ジョブというのは本来、業績に本質的に直結するものと間接にしか貢献しないジョブはあるのは当然です。例えば経理が業績に直結するかというったら、え、でしょう。しかし今の日本はそういう無理なことを言っているような気がしますがいかがでしょうか。逆に業績がいいから営業が頑張ったと評価されるのもどうかと思います。例えば新規顧客が増えたというのであればそうかもしれませんが、ルートセールス基本で、単に卸値が上がったから業績も上がったのかもしれません。卸値が上がっても売り上げを伸ばしたのはどちらかというと販売店の役割であって、もちろん卸売会社の営業担当者が有効なアドバイスなどをしていれば別ですが、どうなの?という気はします。事程左様に営業部門の評価というのも難しいものはあると思います。ということでなんだかとってつけたような理由で競争をさせようとする米国のような理論は無駄なんじゃないかという気もします。

会社として経理部門や人事部門もなくてはならないとおもいますが、こういった部署が全く評価されなければ、結局は不満をもって、前年踏襲で仕事をやっていくということになりかねないし、それこそ優秀な人はもっとやりがいありそうな別の会社を探すでしょう。そうなると経理での誤り、不正や良い人を採用できなかったり、社内の異動が硬直化したり、といった感じになるでしょう。

ということでここまで書いてきて、最初に賃金は労働市場で決まるし、しかしそれは硬直的かも、と書きましたが、単に労働者は賃金だけであちこちいくわけではないのでしょう。賃金以外の何かも含めたものを見切りをつけたときに労働者はほかの仕事を探すのだと思います。結局それをいいことに経営者は賃金を抑えていた。しかし今後はジョブ型雇用でさっさと見切りをつける人が出てくれば、それがいいほうにいくのかどうかはまさにその会社の経営者が見せている姿、ということによるのかな、と思います。自分だけが高収入を得ているような会社で、そうなるために頑張るのか、なんだか俺たちの仕事の成果を全部経営者が持ってっているみたいな感じでやる気がなくなるのかは、経営者の姿次第で納得感を得られるかどうかでしょう。

そう考えるとジョブ型雇用で差をつけながらも会社全体のパフォーマンスを上げていくのは難しいことではないかとおもったりします。がまあパレート理論で2割の人が8割の貢献なんだからそれでいいんだというひとには小生はその2割をどう見極めるのかが会社というところが有機的な組織である以上難しいんじゃないか、と思うところです。まさにコーポレーションということばどおり。