消費税とインボイス

インボイス制度が導入されるということだが、昔昔消費税導入前に言われていたのは、日本の消費税は付加価値税と違って、総額に掛け算なので、インボイス不要のような話だったような気がする。要はコストはインボイス+その人がかけたコスト(人件費含む)でそれにプラスされるのは付加価値(市場でのプレミアム?)ということかと。

なのでわたしは適正なコストを算出するという意味ではインボイス制度はむしろ本来中小企業を守るものだと思っています(大手の無茶な要求への調停などに使えるということです)

また、付加価値にかけるのであれば、考え方は事業者にかけられる法人税とかわらなくなってしまうように思う。諸外国ではどうなんだろう。このあたりをきちんと解説している本があれば読んでみたいものだが、、、

図書館への指示って

図書館の自由、揺るがす「依頼」 国「拉致問題の本充実を」、司書困惑:朝日新聞デジタル

11月4日の朝日新聞の朝刊だがこれが恐ろしい問題をはらんでいると思われるしもしかしたらすでに起きていることなのだろう。

これは国の指示であるけど、例えば地元の作家が図書館に本を寄贈したり、地元の図書館が逆に地元の作家の本を展示したり、地元のサッカーの選手が選んだ本を子供向けに展示したりということはいまでも行われている。

これまで何気なく見てきたが、例えばそれがヘイト本だった場合どうするんだろう。

また、とんでもサイエンスのような本だったらどうするんだろう。

いろいろと思わされることはある。

たとえばオリンピックのとき、盛り上げる本と反対の本はバランスよく並べられたんだろうか?例えば福島で電力会社が原発の安全性をうたった本を大量に寄贈したらどうするんだろう?例えば某宗教団体が機関紙を寄贈したらどうすrんだろう?

いろいろなことが想定される。

今回の話は手に取りやすいようにということだったが、当然地元のある人たちは、今度は図書館に直接プレッシャーをかけてくるだろう。そのきっかけを国があたえたようなもので、これはまずいなあと思いました。

また、新聞も単に国のことを書くだけではなく、むしろそういった草の根の問題を取り上げるべきで、篠田節子氏の話が出ていましたが、もともと八王子市は図書館が非常に貧弱な市なのであって、そういったところでの経験はあまり一般的ではないと思われます。もっと広い範囲でコメントは求めるべきだったのに記者の貧困な想像力に驚くばかりです。朝日新聞の記者にとっては、図書館は子供の絵本を借りる場所で、自分たちは完備された資料室を使えるのであまり気にしてないのかもしれませんが、、、

値上げの秋というけれど

値上げが相次いでいます。

一応いろいろと理由はついていますが、外国をみていると、逆にいままでの円安はなんで吸収していたのかなぞもあります。

アベノミクスではトリクル理論?というのが当初言われてました。大企業の余力をつければそれが中小に波及して日本は豊かになるという話でした。

しかし、円安で確かに輸出産業は潤ったようですが、一方自動車会社は鋼材をたたいたりしたことが日本を代表する鉄鋼メーカーと自動車メーカーの間の軋轢を生んだというはなしもありました。また、輸入食材のお店などではあまり値上げは行われていませんでしたが、単純な話コーヒー豆にしても加工の輸入のお菓子などにしても、円が安くなればモノは高くなるはずで、それが同じ値段で売れるというのは、日本国内のさまざまなコストを切り下げたからでしょう。なので、同じ価格であったこれまでの10年近く、完全に日本の賃金は上昇しない状態だったのは当たり前ですねえ。それがマスコミに騒がれていなかったのは、アベノミクスのマジックなのでしょう。またはマスコミが相手にしている大手の電力会社などは、好き放題円安でコストが上がれば転嫁できたからそれが当たり前と思っていたのでしょうか、、、

某洋酒メーカーの社長は内部留保はたくさんあって経営努力の成果、みたいなことを言ったらしいですが、その会社も原料は輸入ですし、製品も輸入してます。アベノミクス以降の円安をどう乗り切っていたのか興味深いところです。もちろん間に例えばヨーグルトが500mLから400mlに変わったとかそういった話はありましたが、ここまで大騒ぎされてきませんでした。

外国で通貨安が嫌われるのはそれが物価の上昇につながるからでしょう。日本はそこを抑えたので政権の指示につながりました。しかし、そのようなことがどれだけ日本の給与所得者や自営業者に影響したか、ぜひとも分析してほしいものです。

自由主義経済のもとでは、通貨の下落は輸入するモノの価格上昇につながるはずが繋げなかった、なので、通貨は市場に流出してこず、いつまでも日銀も引き締めにかかれない、というとんでもない経済運営が行われてきたということではないのでしょうか。

宗教法人は聖域?

おそらく宗教学者の皆さんはあまり俗世にかかわる研究はされていないのかと思いますが、宗教法人がかかわるのは文科省だけではありません。当然国税という日本最強の組織が宗教法人も事業税や固定資産税を免除していいのかは見ていてくださいます。

例えば、境内地申請をしていても、実質例えば教祖の個人的な住居とみなされれば、固定資産税の対象になります。また、境内地であっても、もっぱら宗教の教祖などが住居として利用している部分は現物給与として、社会保険料の算定基礎の給与としてみなされます。

実際に何年かに一回は実態も調べれているようです。

ところで、旧統一協会はこのような調査をパスして、あのテレビによくでる立派なビルが完全に固定資産を払わずに済んでいるかなど興味深いところです。もしそうだとしたら、文科省のみならず国税も忖度しているということではないでしょうか。

ちなみに宗教学者の中には、宗教法人の課税についての実務も文部科学省がやっていると思っているひとがいそうですし、マスコミもそのようですが、そんなことはなくて、宗教法人の持っている資産ややっている事業の非課税でよいかは国税庁の管轄という認識です。ぜひ違うという学者やマスコミの方は、詳しく説明を書いてほしいものです。(文科省は徴税権はないですからねえ)

なぞの宗教学者記者会見(朝日新聞10月29日)

「透明性と公正さを」 旧統一教会への対応めぐり宗教研究者が会見:朝日新聞デジタル

ということで記者会見をやったらしい。

しかし、なんだかわからないところはあります。

要は学者が悪質だとういことで告発した団体を政府も解散請求しろ、みたいなすごいことをいってるな、という印象です。

政府には慎重に質問権すら行使するようにいい、一方では悪質な宗教団体だからやれということを言外にいっているように聞こえ、なんだかわからいなあと。

そんなことだからきっと学術会議は特に人文系などは役にたたないといわれるのだろう。1990年代に盛り上がった旧統一協会への批判が2000年以降マスコミから消えたのはなぜかといえば、単にマスコミが訴訟を恐れたからだろう。しかし、宗教学者のうちの一部はそういった問題に取り組んでいたわけだが、じゃあ宗教学者のコミュニティがそれを支えて、社会的に発言できるようにしたかというと、おそらくそんなことはなかったろう。なんだか、特に島薗進氏のスタンスは、マスコミが騒いでいるので、宗教学者も黙っているとまずいということで、慌ててバスに乗ろうという醜いものに見える。もちろん学者の中には先ほど書いたように、地道な取り組みをしていたひともいる。しかし島薗氏本人は例えば、彼が勤務していた東京大学で、2000年代は原理研究会の勧誘がなかったのかどうかなど、当然教授陣の一員として、わかっていて、もしそういったところに入っていく学生がいたら、何らかの手を打つ必要があった立場だったのではないだろうか。彼からするとそれは学生部などがやることで自分は関係ないということか?

彼は東京大学の教授陣の一員として、学生がそうした団体に勧誘されるのは、全く心の痛みもなく眺めていたのだろうか、、、私が言っているのは別に宗教学の教授だからというのではなく、ひとりの大学のスタッフとして、どうかということだ。

しかも、その間も声を上げていた例えば鈴木エイト氏などは、かなり命の危険やすくなくとも職を失う危険と隣り合わせでも報道していた。島薗氏が仮に東一教会について発言したとしても、職には影響しなかったろう。もちろん危険はあったと思うが、鈴木氏の比ではない。安定した立場にいて、知ることができたのに何もしなかった島薗氏は、それを恥じるなら、老醜をさらすのはやめて、さっさと退場したほうがいいと思う。

それにしてもの解散請求

前川喜平氏がどっかで話しているYouTubeが出回っているようだ。

youtu.be/4fLuzZIbSL4

しかし、どうなんだろう。質問権が無意味なことは私も同意だ。しかし、解散請求を早急にやることがいいのかは疑問だ。もちろん解散請求がでたということで、世間に団体の危険性を知らせることはできる。しかし、よくよく考えると、このような問題は別に宗教だけではなく、最近話題の某ネットワーキングビジネスなども同じようなものだ。こういったマインドコントロールによってお金を巻き上げるような団体全体に対して何らかの手を考えないといけないのではないだろうか。解散請求が出ても審議にはそれなりの時間がかかるのだろうから、それ自体が非常に有効なのかもしれないが。

解散してしまえば信者はもぐってしまう、または請求がでたじてんで資産隠しが行われるだろう。そういったことにどう対応するかということも問題だと思うが。

 

あきれた宗教学者たち

島薗進・宗教学とその周辺 | Just another WordPress weblog

島薗進という宗教学者が、得意げに自分たちの旧統一教会に関する声明をだして、マスコミで取り上げられたとツイートしている。

内容はといえば”自分たちは以前から旧統一協会には問題があると思っていた”=>あれ島薗さんって新聞で逆のことを書いていたような、、、

質問権を行使しろ=>元文部事務次官の前川さんはあまり効果はないんじゃ以下といってますが

解散させろー>前からのとおり、解散したら財産はかくされちゃっても追いかけきれないのでは

現在の被害者を救済しろー>言うは易しですね。現在の平和家庭連合の信徒を救出するのにどれだけのリソースが必要か、学者だったらわかるでしょう。そんなことを軽々に口にできますか

ということで、島薗さんというひとは前にあるところに武谷三男をほめる文章を書いてましたが、彼と同様の俺様みたいな頭のいいエリートが世の中に教えてやる週のぷんぷん匂う文章でなんだかです。

私の知る限りでも川島某や小原某のような人も混じっていて、宗教学ってそういうひとたちで成り立ってるのだと、その日本の宗教学のダメさが、こういった問題に対応できないのではないかと妙に納得しました。