三浦英之「太陽の子」と毎日新聞古屋敷尚子氏記事と現代との関連

2022年秋に刊行された本なのでかなり時間がたってしまったが、最近この本のことを知った。

詳細に指摘できないが、調査が不十分な本だと感じた。また、日本鉱業側ももう少し当時の状況を説明すればいいのに、と思うところもある。もちろん2010年代になって1970年代の話をされても会社の組織の変更などもあって、現役の”部長”クラスでもよくわからない、ということだろう。もちろん長い間懸案となっていれば、引継ぎもあったろうが、この案件はそうではない。もちろん支援にあたっていた方々からすると継続していたわけだし、過去に修道院のシスターの方が会社に訴えたこともあったらしい。しかし、どうも単発だったように思われる。

話はザイール(コンゴ)の鉱山開発で、日本人が多数赴任して、その中で女性との間のこどもを置いてきてしまって女性は苦境に陥った生活をしている、ということだ。

まず大前提として、この話を筆者はフィリピンなどの日本の戦時中の話と類似していると書くが、根本が違うと思う。当然女性との間の子どもということでは似ているが、日本でも似たようなことはあったが、占領軍の兵士と企業の社員では、現地のひとの受け止めは全く違うだろう。また、三浦氏は当時の総務担当の社員との会話の後に”買春を認めた”と書くが、これは三浦氏の本の大きな問題で、社員との会話の中では、飲み屋のようなところにいってダンスをしたことまでしか書いていない。ほかのところを読むと、買春ということではなくて、家までいって親とも会ったりもしているので、そういうことではなく本当に若い男女の交際だったのではないかとも思われるのだが、ここで三浦氏はどのような根拠で買春と書いたのだろうか?

この言葉はこの本を読む人の印象にもかかわってくると思うのでちゃんと調べて書いてほしいところだ。一か所しかもしかすると出てこない言葉かもしれないが、しかし、全体の印象を左右する致命的な欠陥だと思う。

また、この本でかけているのは、撤退の状況だ。淡々と描いているが、実際はもっと切迫したものだったのではないか。件名の毎日新聞の記事をみると、かなり切迫したものであったことがうかがわれる(もしかすると、このひとが、本の中でかなり嫌な感じで描かれている匿名の人物かとも思うが)。混乱していたことは確かなのだろう。そのあたりの状況はあっさり書かれていて、これはおそらく日本鉱業が当時の政府との間で、政府の責任を問わないということにしていたことの影響なのだろうが、ひどい話だとおもう。新聞記者であれば、当時の状況は断片的な帰国を嫌がった人がいた、というような話だけでなく、もっと聞き取って書いてほしかった。家族の側は今もコンゴにいるとなかなか話しづらいところもあると思う。そのあたりの配慮がないことは致命的な欠陥だと思う。

また、あまりにも細部化もしれないが、この本の中でMさんというひとの父親は日本鉱業の関係会社で輸送車両の責任者を務めたひとという記載があった。西東京市の社宅は日本鉱業のものであったということだが、この関係はよくわからないところだった。関係会社の家族も社宅に住んでたのだろうか?または出向だったのだろうか?古い地図などをみると、当時そこに何があったかは正確にわかりそうだがどうなんだろう。個人的な記憶では、社宅だけではなく、独身寮が同じ地域にあったりすることもあったりしたのかもしれないとは思う。また、のちには子会社の自動車学校もあったので、そこがもとは運送会社の独身寮だった可能性もあるかと思ったりもするが。調査不足だなあと感じるところ。

結局そのことは、毎日新聞の2023年の記事のトーンにもつながっていると思う。

重要鉱物豊富なアフリカ 日本が抱える40年前のトラウマとは? | 毎日新聞

この本では子供殺しというようなBBCやフランス24の記事に対しての調査を行っているが、これに対しても日本大使館は全く何もしていない。要は民間のことは俺たちは知らないという態度。撤退時もなのだろう。それをわすれたようにまた今後に投資させようとする態度は民間からしたら本当に金だけではない。で大臣が訪問したりするときは過剰な接待などを求めるのが外務省というところではないのか?

前に戻るが、日本人の子どもといっても日本鉱業にとっては、自分たちがそのようなことに過剰に干渉すれば個人の生活への過干渉になる、しかし、性病にかかる従業員が多いことからいろいろと把握はしていたのだろうが、会社が管理するようなことをすればそれこそ買春になってしまう、というなかなか大変な立場だったかなと。でそれは実は多くの鉱山ではありうることで、おそらく経験上、”性病の防止”というラインが会社でできること、ということだったのではないかと思われる。おそらく会社として出てくるときに10万円を用意したとかいうことは、ありえないだろうというのはインタビューで答えているひとのいっていることは本当だと思う。また、一口に日本鉱業の従業員といっても、本で書かれているとおり、多くのひとがいて、実際はその中には自社の関係会社の社員や他社からの派遣されている労働者(例えば重機類などは専門のひとがいたのでは?)やそれこそ医師など、必ずしも自社のコントロール下にない人たちもいたのだと思う。特に鉱山で働いている人たちの独身用宿舎の話は、現地の以前の白人が支配していた時代を踏襲して作ったものかもしれないので、そういうところも詰めてほしかったです。

しかし、日本鉱業の皆さんに共通しているのは(全否定した人も含めて)、ザイール鉱山の運営について、そうしたいろいろなひとたちのことも含めて経営・運営会社であった、自分たちの責任だと思っているようなところだ。そういったところに乗っかっていい調子で三浦氏は書いているが、微妙なところだとおもう。
ということで、この本は古いことを書いているようで、今に直につながっていて、毎日新聞のような、安易な記事が出てくることがないように、三浦氏にはもっと細部を詰めてほしいのと、やはり最後の方で書いているが、日本の産業政策、また、外務省の役割など、そういったところにまで踏み込んでほしかったところだ。特にザイールから帰った作業員の人たちが原発に流れていったというのはどのようなことなのか知りたいところであった。(とうことも書いてあって、”父親”の中には日本鉱業の従業員だけではなかったのでは?という印象です。経産省は今の日本でそういう人がどこかにいる(または作り出していい)と思ってるんですかね)