朝日新聞望月優太氏の文章(2)

こだわるようだが首相を殺害した容疑者の公判がひらかれるということなので、また思い出したことがある。

以前も書いたが幡ヶ谷のホームレスの事件は結局公判は開かれなかった。起訴状も明らかにはなってないと思う。それなのに事実として確定したように各ライターなどが多く、不思議に思っている。そもそもがわたしの記憶だと最初はペットボトルで殴ったといっていたがあとから、石を入れたという話は出てきたように思う。しかし、あのあたりでペットボトルの口にはいるような石を探すのができることなのか?よくわかりません。舗装された道路ですからね。そのあたりぜひとも公判で明らかになることを期待してたのですが。もちろん容疑者が殴ったことは事実でしょう。しかし、それが殺害を意図したものだったのか、それがきっかけで倒れたことなどでクモ膜下出血が起こったのかは争われるところだったかと思います。警察はなにかそういう疑問がでないように、あとから”石をいれたペットボトル”ということをいいだしたんじゃないかと。(ちなみにそのペットボトルは証拠としては見つかったんでしょうか?)ということで事実がわからないのに”良心的”なライターがかきちらしたし、社会的に認められている牧師のような人間があちこちで書くとそれが事実かのように広まることは非常に良くないと思っております、だれでも裁判を受ける権利はあったのにそれを自ら閉ざしてしまった容疑者、なぜ?何がおこたのかぜひともお母上にききたいところですが、もうマスコミからは放っておいてくれという不信感でいっぱいで話してはもらえないでしょうね。