この記事はちょっと短絡的過ぎる記事だと思った。
孫引きではあるが、沖縄では昔”方言札”というものがあり、授業中琉球語を使うとそれを首からかけられて、次に誰かが使うまで掛けていないといけないということだったと読んだ記憶がある。もしかしたら柳田国男からの孫引きかもしれない。
21世紀の現在例えばウクライナではゼレンスキーなど俳優としてはロシア語を使っていたと読んだ気がする。そのような旧ソ連の言語政策があり、一方逆に今ではウクライナ語を使うかどうかは非常に機微なことなのだろう。かくも一つの地域での言語は政治的な問題をはらむのは21世紀の今日では常識と思うのだが、そのような常識を朝日の記事には感じなかった。なぜだろうか?