田中克彦さん(朝日新聞2022年9月10日)

ひさびさに田中克彦さんの文章を朝日新聞の朝刊読書欄で読んだ。

現在のロシアのウクライナ侵攻に合わせた記事だ。ここで田中氏は言語というのがヨーロッパでは戦争と常に一体のものであったことを訴える。おそらく田中氏の『ことばと国家』以来の課題なのだろう。まあ当然ですか。アントワーヌ=メイエの『ヨーロッパの言語』は否定的に紹介されるが、考えてみれば、当時の言語学会ではこういった見解が受け入れられていたということを知る上では貴重だ。そこは田中氏の著書の最後のプーチンへの批判につながり、おそらくは、中国の、ミャンマーの、、、といろいろな国家で普遍的に起こる問題なのだろう。そこで、田中氏が最後のほうでいってる文化人類学的な視点が与えてくれる、少数民族のはなす言葉というものへの視点は重要だと思われる。人文科学というのは無害であることがいいことのように言われるが、そんなものではないことがよくわかる。それは、個別の民族を研究することが、はばひろく、この地球上に生きるひとたちの”ありかた”をまなぶことで相互の理解につながるという、大切なことを教えてくれる。日本でも、例えばヘイトの問題などを考えるときに重要な視点なのではないか。ヘイトの問題を政治の問題としてだけとらえていくと、危険なところもあるように感じる(特にある種の憲法学者)が、田中氏の提示するような、視点を持つことで、”ありかた”の重要性を学ぶことが大切で、そのうえで法的な技術がくるのではないだろうか。