「政治的中立違反」初認定 辺野古転覆、同志社を指導 文科省、安全管理不適切 - 社会 : 日刊スポーツ
おどろきの記事だった。安全管理については当然だ。しかし政治的中立違反とは何か?と思っていたら、死亡した生徒の父親がそれを求めているということが分かった。
しかし、政治的中立性というのであれば、当然他の生徒も共通する課題なので、死亡した生徒だけが特別違う教育を受けていたわけではない。
また、別件にはなるが、国は船長は謝礼を受け取っていたということを言っているが、学校側は船の使用代金といっているようだ。ただ、さすがにこれは無理もある、とはいえ、1万5千円が船を出す実費以上のものかはよくわからない。これについてはいろいろと話は出てきそうだ。まあ近い例だと某高校の事故で、学校側はバス会社がレンタカーの運転手に”謝礼”渡してるといっているが、それは直接ではないかもしれないが、結局は学校側がもし渡していたとするなら間にたった会社に払うのではないだろうか?
ということで政治的中立性のところに戻りたいが、別にこの件は政治的中立性云々とは別に、危険がある旅行であるということが第1だ、
政治的中立性をいうのであれば、例えば沖縄県への修学旅行で基地を見学して、県側の話を聞くことは、もう、政治的に中立とはいえないという人もいるだろう。
話はこの件からずれるが、例えば、憲法について皆さん学習するが、憲法が正しものであるとか擁護するものであるということを言うこと自体が今の自民党の立場に異を唱えることになるのである。
また、広島原爆ドームなどを見学することで核爆弾はいけないものだ、と教えることも”政治的中立性”を犯しているだろう。何しろ米国のトランプ大統領の支持者はキノコ雲のマグカップを売っていたりするくらいなのだから。
逆にこの事故は、政治的に中立であれば起きえないのだろうか?そんなことはないだろう。いくら政治的に中立であったとしても、同様に荒れた海に小さな船で向う見ずにのりだせば危険はあるはずだ。政治的にどうであれば、危ないものは危ないのだ。
ひとつあるとすると、学校の先生の中に、”正しい行いは危険にされされたない”というような”信仰”がなかっただろうか。もしかすると亡くなった方の遺族の方はそのような学校の態度が”政治ていな偏向”による傲慢さ、と見えたのかもしれない。
ただし、繰り返すが、政治的に右、左関係なく、安全管理は不十分であってはならい、それが第1歩だと思う。