今朝の新聞の3面にはこのような記事がある。
皇位継承、「男系男子」とその限界 議論の行方は「戦後」の転換点に:朝日新聞
小生にとって御厨氏のいうことはそれなりの納得感があることで、そもそもの皇室の役割も含めて考え直すべきだと思っている。
この問題は単に継承ということではなく、皇室の役割というものをいつまでも昭和を引きずっているいまのままではどうなんだということも含めて考えなくてはならないと思う。例えば今回の福島訪問や戦争の激戦地での慰霊などは、首相などがやるべきではないのだろうか?国民の代表ということで五輪の選手の表敬訪問のようなものは喜んでやるように見えるが、そういった”反省”的なものは、現首相だけではなく嫌がる人が多いように見える。そういったすみわけを特に平成天皇は意識されていたように思うのだが、今後もそれでよいのか。平成時代であれば、まだ、そのようなすみわけも意識できたが、令和になり、国民の代表の役割を首相が担おうということであるならば、そういった役割も首相が果たさないと、世界の中での日本を考えるとちょっと問題が出てくるように思う。もちろん世界の中では過去を革命によって克服したという歴史観を持つ国もたくさんあるわけであるが、昭和の敗戦はそういったものにはなったというひともいるが、天皇が維持されたところで、実際多くの日本人の心性としてはそうはならなかったので、そうであれば過去の歴史への向き合い方を、そういった革命によって過去を克服した日本とは言えないだろう。
もうひとう、同じ中田記者によって、このような記事もあった。
悠仁さまは「変わられた」 筑波大学長が語る、キャンパスライフ1年 [茨城県]:朝日新聞
このふたつが同じ日にのって読者はどう考えればいいのだろうか。というか意図的なのか、、、
学長が語っているが、国民も公務で授業などに出られていないのはわかっているわけで、こういった言葉をそのまま受け取れない気分だ。もちろん筑波大学には、運動選手で日本代表の合宿でおそらくはかなり大学の授業などは制限されていることがうかがわれる学生もいたりするので、そういった公務の扱いが決まっているのかもしれないが、しかし、運動選手の代表合宿はその専門と密接につながっているわけだが、ちょっとちがうのではないだろうか。そこも結局は天皇の役割というのがあいまいであることによるのだと思う。もし今のようなことを考えるなら学ぶべきことは違うだろうし、全く別の先に書いたように、真の象徴としての機能のみを考えるのであれば、それはそれだろう。そういったことを全く考えていなさそうなのが今回の筑波大学長のインタビューで、たまたま昨日出ていた財務の苦労も含めて、やることはいろいろとあるのではないだろうか。問題と思うのは、セキュリティの強化のようなことを言っているのだが、とんでもないことだ。学生ファーストじゃない発言だなと感じた。諸外国の王室メンバーも受け入れているオックスフォードなども視察して、宮内庁ともレベルはもっと議論すべきではないだろうか?まあさすがに今の公務の量と筑波大学の授業履修の優先は早晩宮内庁が考えないと本人にとってもよくないだろうい、大学側にも大きな負担んだろう。単純な話として、学業を優先すべきなら、そのようにすべきだし、そうでないなら、そうでないとはっきりしないという、永田学長というひとは、進級を学類に丸投げしかねない人だと見える。ということで二つの記事の感想である。