(評・音楽)ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団 通念一掃、闇砕く巨匠の信念:朝日新聞
ここで披歴されているようなキリスト教的な表現を先日のNHKのクラシックの迷宮でも連呼していたような記憶がある。
しかし、よく考えると片山氏は実は本職は日本政治史の教授らしい。そう考えると、歴史家としてやはり史実に即した発言なのかは問われるべきではないのかと思うのだがいかがだろう。これで対照的に思い出すのはキリスト新聞などのメディアの深井智朗氏への粘着的とも見える姿勢である。なぜ朝日新聞のような広く目に触れる人に、キリスト教史的に疑問がある記述がされていても、こういったメディアや学者たちは何も言わないのだろう?ということは疑問は素人的なもので、専門的には片山氏のいうことは史実に裏付けられているのだろうか?
また、これには慶応大学法学部という中でも片山氏がいっていることは正しいということで放置なのだろうか。確か慶応大学ではカルバンなどを専門にしている田上坊という学者がいたはずだ。昔得意げにこの人のゼミナール?で学生相手にロールズの正義論を披露した神学者芳賀某氏が得意げにある雑誌にその内容を書いていたが、内容は惨憺たるものであったと記憶している。まあこの雑誌に芳賀帽子はずっと連載をしていて、その内容に編集者に近いと思われる某氏に疑義を表したところ、”これはエッセイなのでいいのだ”と言われたことがあるので、キリスト教の学会の中では、神学者無謬ということで、雑誌の内容にあれこれ言うことは誤り化もしれない。しかし、その権威付けに”慶応大学法学部政治学科の田上坊氏のゼミナール(研究会というのか?)でも発表した内容”ということが使われるとすると、あまり放置もできないのではないかと思うところだ、まあ自分のゼミナールでもそうであるとすると、こういったひとは同僚の片山氏が何を言おうが、まあ放置ということなのだろうか?慶応大学、大学としてそれでいいのだろうか?なーんていうと、テレビとかではもっと飛んでもな憲法論なんかをしゃべっている非常勤講師人もいますけどね。
まあ最初に戻ると、結局深井氏粘着していた人たちは権威に弱くていったん何かあった人に石を投げるというおよそキリストの教えには反した人たちなのだろう。まあもちろんキリスト教を専門にするからといって、それはそれで学会の流儀というやつに従っているのが大切なのはわかるのだが、学問って結局は権威なのですな。まあそれはパラダイム論なども教えるところではありますけどね。