よんでいて後味が悪い記事。
最後に裁判官は”他の家族からの支援を受けられなかった”ということを執行猶予を付けた理由にするわけだが、これは認知症の親は家族が面倒を見るという前提にたった発言だ。もちろん弁護士もまずかったのかもしれないし、なかなか裁判所で訴える内容として、政治に踏み込むことが難しいことはわからなくもない。
しかし、記事を読むにがっかりだ。
裁判所での議論では確かにそうかもしれないが、それをそのままあたかも”大岡裁き”かのように書くのはどうなんだろう。もっと鋭くなぜそのような問題が起きたのか、やはり新聞記事なのだから、単に法廷でのやり取りを報道するだけでなく、それがもつ社会的な意味をきちんと報道して新聞記事として成り立つのではないだろうか?
趣味で世の中には法廷にいって裁判官と被告のやりとりを傍聴する人ということだが、新聞記事がそれと同じということはありえないだろう。しかし、何かそのありえないものを見せられている気がする。
もしかすると朝日新聞は法廷のやりとりをそのまま提示して読者に考えさせるとかいう非常に上から目線なことを考えているのかもしれないが、そんなことに読者はお金を払って新聞を読んでいるわけではない。
また、これはネット対応で、ネットの場合はこういった記事が引用もされやすく、いいのかもしれないが、そうだとすると、本末転倒だ。
さて、本件そのものに戻れば、当然被告人が事件を起こすにいたった精神的な状況というのは問題になるのだろう。しかし、ここでの精神的な状況の斟酌は限定的だ。
だが、今は他の事件も考えて、こういう状態に置かれた人間がいかに追い詰められるか、ということも実例が出ているのだから、それは今回の被告だけの問題ではない区、社会的にこういった環境のひとが陥る心理状態として、共通したものだし、また、そのように考えて社会的な対応をしなければ、悲劇は続くと思われる。それに対してこの記事はなにもない。
一足飛びに政治がこのような問題に特効薬を出すのは難しいだろう。しかし、問題はそのような問題を提起して、ひとつづつでも問題を解決していくことではないのだろうか?そのようなことには今回の記事にはまったく役立たない記事で、前述のようにお金を出して読ませる記事ではないし、もしこういったものをお金を取れる記事と考えるのであれば朝日新聞の編集者は読者に対して、上から目線のひとたち、ということなのだろう。