田川建三氏の逝去で検索しているとこのような本に論考を寄せていることがわかったので図書館で借りた。
数人の中のひとりとして1978年10月に大阪日仏センターの公開講座で行われた講演を収録されたものである。
しかし、読んでとても残念だった。ザイールで暮らした時の経験からアフリカにおける言語の問題を扱っている。要はフランス語と各地域の言葉の関係を考えている講演ということだ。そのなかでは意外なことに田中克彦氏の名前が最初の方に出てくるのだがどちらかというと賛成はしていないように見える。しかし、賛成しないのはともかく、そこから述べられる田川氏の見解ははちゃめちゃな感じで1970年代以降、田中克彦氏が果たした役割の大きさを逆に感じることができる文章である。
まず、田川氏は共通語をつくるのは宣教師と軍隊だといい、宣教師が作った共通語”リンガラ語”を”エスペラント的なというより、今であればおそらくはピジン的なことばだというわけだ。横道に逸れると、これを読んでちょっと面白かったのは今の日本のローマ字環境で、今回どういう人たちによるのかはわかりませんが、あっけなくヘボン綴りが国定になった。ヘボン式ローマ字は当然宣教師が日本語を理解して聖書なども翻訳するためのもの、そして、戦後日本の地名などを占領軍が理解しやすいようにヘボン式のローマ字で記述して広めたということだろう。ローマ字というほとんどの日本人に日常ではない記載方法は結局まさに田川氏がここで述べたように宣教師と軍隊によってひろめられたのだ。しかし、幸い日本には旧来の独特の記述方法があり、それは戦後も生き残った。ここで何人かはローマ字化をいったひともいたわけだが、そこでもしヘボン式のローマ字が広められていたらおそらくは、日本人は学校教育などでも英語の教科書を学び、英語化した国民になっていたのではないだろうか?田川氏の視点からはなぜか全くそのような経緯は触れられていない。ひたすらアフリカの状況を書くだけだ。
まあそれはともかく彼は言語が定着するプロセスを無視しているように見える。やはり何もなしで言語は定着し広められるわけではなく、そこには政治が働く。
それこそ彼はアフリカでキリスト教を講義していたわけだが、聖書自体どのように民族のことばで書くか、翻訳するかは彼にとって問題ではなかったのだろうか?
そこを棚上げしてフランス語を使っていては、結局はフランス語教育を受けられるひととそうでないひとを分断する。その大きさに田川氏が無関心なように見えるのは私の誤読だろうか。
当然ビラなどや新聞を発行するなどの方法で自分の意見を伝える手段の言語ということなのだが。結局それもフランス語でしかできないとすると、それはいつまでも民族を団結させる根拠は生まれないだろう。例えば国を作るのに必要な憲法をフランス語で書いていたら、結局それはフランスの支配下にあるのと変わらない。多少の問題はあったとしても、自らの民族のことばから日本語のように、広く国中で認められる記述方法などをさがしていくしかないだろうが、その努力はまさに田川氏もいたザイールの”大学”なども行わないといけないことで、その中でもし田川氏がいうように疑問もなくフランス語が使われているとしたら、そういった方向への研究は行われないのだろうなあと想像した。
先に書いたように、日本も危険な時期はあったわけだが、そこをなんとか抜け出して、柴田武氏や田中克彦氏のような言語学者の働きもあって、例えば”ケセン語”のようにローマ字での独自の記法や聖書、文学を得る言語もあらわれた。これは大きなことだと思う。もちろん1970年代はまだこういった動きもあまり公にはなっていなかったわけだが、2025年の時点で見ると、かなり残念な論考であったと思われるのだが、意外とこういったところに田川氏の仕事の本質はあったのかもしれないと感じた。