すたれ行く訓令式ローマ字への思い

それにしてもなぜ日本では訓令式のローマ字が嫌われるのだろうか?

それには英語のパワーというのがあるのだろうか?

もしこれがラテン語に書き方の起源をもつロマンス語圏であればここまでは違和感を持たれず訓令式のローマ字も使われたのだろう。また、ドイツ語はきっちり正書法が決まっているので、同じくドイツ語が流行ってくれればここまで訓令式のローマ字が嫌われることはなかったろう。

ある意味正書法がほかのことばに比べて脆弱な英語がはやっていることが世界の悲劇なのか。

しかし、世界の中で日本ほど、固有名詞も含んだ日本語の名詞のローマ字つづりを英語に寄せる国はあるのだろうか?例えば中国などは全く寄せていない。韓国はわからないが。ペルシャ語圏も例えばいろいろな苦労をしているようだが、みんな自国の発音を自国のつづりで書いてそこまで英語への配慮はしていないように見える。

もちろんバスケットボール選手のシュルーダーのように、昔は音楽と結びついてピーナッツの中ではシュレーダーと書かれていた人が、いつのまにか、うを伸ばすだけになるようなひともいる。ただしこれは米国NBAで受け入れられるためのことで、五輪などでは前のとおりちゃんとシュレーダーだ。日本は違う。おそらくohtaniは日本でもそう書くひとが多くなるだろう。oonoは違う人も出てくると思うが。

文化庁のローマ字を決める人たちは、むしろ外国人の名前も、きっちりと日本での表記を決めるべきだったのではないだろうか。たとえば、ダルビッシュはdarubissyuだがダーウィッシュとなのるのであればdaauissyuなど、むしろ英語から離れることで日本の読み方であることがはっきりしていいのではないだろうか?

結局のところローマ字をどういった場面で使うのかはっきりしないのが問題なのだろう。審議会でも、論文での日本人の人名表記をいっているのか、地名の表記、それも海外の文章に現れる場合なのか、それとも日本の道路などで示す場合か、などいろいろでなんだかわからなかった。

なんというか、これは日本への米国文化の侵略といってもいいのではないだろうか?こういうのは残念だなあと。いうことだけが残った。その中でなんだか文化庁の案に異論を出さない古田徹也氏には特にがっかりした。