いろいろと眺めていると、みなさん結構まじめに考えているようだ。
しかし、小生は今の時代、なかなか難しいところはある。
ひとつめは、先に書いたように、今は有権者は、日本で育っていれば、義務教育を受けている公民であることが前提となる。そうなると、すくなくとも安藤氏が書いたようなさまざまな怪しげな説は正しいのかどうか判断するくらいのことはできるだろう。
しかし、もうひとつ、今は専門家への信頼、というか専門家の中ですらいろいろな意見が入り混じっている時代であることへの視点が欠けているように思う。
例えば新型コロナワクチンについて、また、歴史についてなど、いろいろな専門家がいろいろいろなことを言うので、さすがに一般市民はだれかのいうことを聞くとすると、それは分かれてくるようなこともある。
選択制別姓についても全く学者の間でもワンボイスではないのである。
原発についてなど、原子力工学出身者のいうとおりやっていたら(東電にいたひとを含む)アウトだったというようなことではないだろうか?
こうした中で正しい政治を行うための知識が何かというは難しい。
逆に専門家ですらいろいろな意見があることを前提に、一般市民の投票にゆだねるということが、現代の民主主義の根底にはあるのではないだおるか。それは投票だけではなく、例えば裁判員制度などにもみられることである。
それにしてもこの議論の中で眺めていたら、私大の図書館が一般市民に公開されていないのは、私学は学生の学費で運営されているからだ、と書いている法哲学者がいて驚いた。そのひとの所属している大学は日本でも指折りの私学助成金が投じられているというのは常識だと思っていて、私学助成金とは税金だと思っていたのだが。
図書館の運営には私学助成金は使ってないということなのだろうか?お金には色はないと思うけど、、、
私学助成金の交付額が多い大学ランキング 3位「慶応義塾大学」、2位「日本大学」、1位は?:日大への助成金カットで注目(1/3 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン
さらにいえば図書館は市民も知識を得る場所で、投票活動にも重要な場所だ。そういう観点からすれば、この法哲学者の、私学の図書館は自分たちだけが使う場所で当然というような発言は、私学助成金だけではない、それを払う一般人民は専門的な訓練を持っていないので、大学図書館の専門書など読ませても有害といわんばかりであり、一般学生の学費や税金で購入した図書を使う側の学者の特権性を担保するものであり、深い問題も感じた。
(もちろん、利用にあたって、都心の便利な場所にある大学図書館で、利用者の選別を行わないと、利用すべきひとが利用できない、また、盗難を防ぐ必要がある、という課題への対応コストを負担できるか?という問題を解決したうえでではあるが)