田川建三氏が亡くなったそうだ。
89歳だったそうである。群馬の病院で亡くなったということにちょっとふーんという感じがあった。
小生は田川氏の著作のそれほど熱心な読者ではなかったが、『イエスという男』の古い版は持っていた。他にも結構高価であった新約聖書の翻訳の歴史を書いた本なども持っていたし、作品社の新約聖書の本文も持っている。
それ以外にもいくつかの本は読んだが、時代背景がわからないと若干理解に苦しむところもあり、ある年代の人とはおそらく違う読み方なのだろう。
そういう意味で田川氏を全否定するわけではない。むしろ彼が書くものからは恩恵も受けた。が、彼の周りにいたひとたちは完全に全否定だ。そうなったのにはやはり田川氏自身のある種のスタンスもあったのではないかと思っている。残念ながら小生は田川氏の講演などを直接聞いたことはない。しかし、きっといい講演をする人だったのだと思っている(いったひとからも聞いたことはある)。周りに集まってきた人たちは当然のことながら田川氏の学問を継承しようなどという人たちではなかったように見える。もちろん大阪女子大学の名誉教授にもなっているので、学問的にも大したものと認められていたのだろう。しかし、それ以上に周りに熱心に集まってくる人たちへの愛情はあったのだと思われる。
ここでふたり思い出す人がいる。
ひとりは加藤常昭氏である。彼は田川氏とは対照的なひとだ。しかし、ある意味信奉者に囲まれたけど後継者がでなかったという意味ではそっくりだったと思う。
一応形式的には説教塾は継続しているのかもしれないが、彼ほどの影響力は持てないだろう。ただし小生は彼の周辺にいた人を全否定するつもりはない。
ちなみに、彼と東大で同級生であったらしい新約聖書学者の川村輝典氏も、田川氏の業績は認めていたのでは思っている。
もうひとりは山浦玄祠氏だ。彼も聖書の翻訳を成し遂げた人だ。しかし、彼は聖書の翻訳だけではなく、文学的な活動その他によって地域に広がりをもったつながりを作っている人だと思う。田川氏とは対照的な人だと思っている。同じようにメジャーな聖書翻訳に批判的でありながら、向かった方向は全く逆で、彼はむしろ地域のひとに近づけようとして翻訳した。いろいろな意味で山浦氏の活動をサポートしている人もいると思うのだが、それはものすごく開かれていて、彼はカトリックの教義にたいしての疑義を持つことはないようだが、一方ではむしろ田川氏を支持しそうな人たちからも講演に招かれたりもしているようだ。それはすごいことだと思っている。
田川氏の学問的な業績は疑うべきもない、といいつつも思うのは、例えばほんのひろば、というようなPR誌、また一般の新聞の書評欄にも田川氏が新作を出せば書評を書く人がいて掲載されるのだろう。しかし、驚いたのは、学問的な不正があったとして、学会から離れた深井智朗氏のカルヴァンのキリスト教綱要の翻訳に、書評を寄せたのは、小生が見ている限り毎日新聞の橋爪大三郎氏だけである。どうなってるのだろう?なんだかだと思ってとても残念だ。一見田川氏はICUを退任させられてキリスト教からは異分子と見做されていたように思われているかもしれないが、全くそんなことはないのである。彼の支持者によってしっかりと支えられていた。このことは本当に日本のキリスト教にがっかりさせられるところである。例えば養老孟司氏は今でも山本義隆氏の著書に対して、ひとこと付け加えるようであるが、山本氏にしろ田川氏にしろ、”正義のために追放されたひと”は正しくて”不正のために追放された人”は悪、ということなのか。
当然のように田川氏や山本氏が行ったことで物理的に傷ついた人もいたと思うのだがそれはいいのか?小生が思っているのはもちろん田川氏や山本氏に対して書いたものを評価すべきではないということではない。逆に深井氏のようなひとにたいしても翻訳という労苦に対して、きちんと報いるのが社会ではないのか。そこに専門家集団としての学会やそこに所属する学者というものが、新聞社やPR誌の編集にプレッシャーをかける(実際深井氏が別の書物に書評を書いたものはほんのひろばで撤回された。一体どういうひとがこれに抗議したのであろう。はっきりしてほしい)といった行為が通ってしまうのは社会に対して不誠実だと思う。
そのあたりも田川氏の死去に際していうことでもないかもしれないが、思わせれたので、記させてもらいたい。