「7列車」で行こう いろんな人がいてこその リアルの世界に生きる:朝日新聞
4月以降は音楽だけに専念するのかと思ったらまだ、ここにかけるだけのプレステージはもっているらしい近藤氏である。すばらしい。
まずはしょっぱな近藤氏がニューヨーク在勤時代に年間シートを買った話から入る。
実はこれは本題とは関係なく、単に近藤氏がいかにニューヨークびいきかという話だ。
ここからはまず、朝日新聞のニューヨーク在勤者というのは、年間シートを買えるだけのサラリーをもらい、かつ時間もあるという、他の日本の海外在勤者からみたらうらやあしいかぎりの待遇だ。さすがである。がそれって、単なる自慢としか読めない小生のようなねじ曲がったこころをもつ人間もいるのは確かだ。
そして、ニューヨークの市民全員がブレーブスの抑え投手のニューヨークには外国語しか聞こえないブロックがあるというような発言に反発したようなことをいっているが、時代は違うが、小生のような人間にとっては、映画のウエストサイドストーリーのような世界は2000年には本当になくなっていたのだろうか?という疑問もある。どうなの?
いかんいかん。大朝日でコラムを書くだけの地位を与えられている近藤氏にこのような素朴な疑問を投げかけるのは許されないことなのだろう。
しかしだ、もし朝日新聞が国際化して、例えばコラムはニューヨークタイムズのものを翻訳でもして、今のオピニオン欄に載せることにしたらどうなるだろう?今ののっているが、レベルはあきらかに高い。そういうのがもっと増えて土曜日毎週のコラム化したりすると朝日の記者も、仕事が減ってうれしいのだろうか?
結局今の日本で日本人ファーストが受けるのは、そういう立場の人たちがたくさんいるからだ。
近藤氏は百姓には関係ない、というが、そんなことはないだろう。一昔前農村には嫁が来ないといって、東南アジアから花嫁を招いたのではなかった?また、研修生といわれる東南アジアからの働き手も農村では必要としている、といって、法律も改正したし、新型コロナで来られないときは、騒ぎになっていた。今はどう?そういうひとは農村にもまだいる?いない?どうなんだろう。また、海外からの農作物の輸入に反応が見えないとすると、それはもうあきらめてるひとしか近藤氏の周りにいないのか、なんといっても近藤氏は農業で生計を立てていないから、そこには感度がないのではないか?関係ないといっているが、周りの人たちに聞いてみたらどうだろう。
というようなことを朝日新聞の記者に問うのも失礼なことなのだろう。
ただ、こういったところと無縁なのはおそらく日本語でどんな記事を書いていても海外からの記者に追い払われる心配がないと思っている、朝日新聞の記者くらいじゃないのか?例えば海外の新聞が日本で取材する。実際BBCやCNNの記者の記事は朝日などよりずっと信頼できるようにも思うときがある。おそらくはジャーナリストとしての訓練が違うとか、社内のチェック体制が違うとかいろいろな要因があるのだろう。
このようなメディアの記事を見慣れていると、近藤氏のコラムのようなものはいかにも日本で育った日本の新聞に慣れた人にしか受けない内容なのではないかと思われる。
要は朝日新聞の教養をまるごと受け止めてくれるような読者だ。
すでにそのような読者はいなくなっていることに気が付かないのは朝日新聞の記者は朝日新聞を読む人だけにしか目に触れる文章を書かないからだろう。
それって今の自民党や立憲、共産党などと同じことのように思う。
すでに大多数は離れているのに、自分たちの中でいかに受けるかを考えることにばかり専念するひとたち。近藤氏のニューヨーク勤務時代の栄光をほとんどの読者(自分も)は知らないのだが、、、
近藤氏は少し、そういった、朝日新聞を読もうともしないような読者やニューヨーク時代の栄光の日々を知らないような読者が自分の記事を読んでどう思うのかを考えてみたらどうだろう、などと上から目線で言えるほど自分は何者でもないのだが。