小生の学生時代盛んに三里塚というキーワードは聞いていた。そのため非常に興味を持って読んだのだが、、、
まず、この本は成田空港の反対闘争を戸村一作氏を中心に据えて書いた本だ。
そして、キリスト教徒としての戸村氏を天草四郎となぞらえている。
しかしそれにしては甘いところもあると思った。
ますは三里塚教会について書いているところで、46ページには1986年(ここは1981年夫五年後ということなので)に日本基督教団三里塚教会と称されるようになる、と書いているが、まさかである。日本基督教団は当然のことながら第二次世界大戦時の国策で作られていて、1941年のことである。この時点ではありえないのだが、これは非常に大きい問題で、ある方々にとっては未だ、日本基督教団三里塚教会として指すのは戸村氏の系譜を継いでいる会堂の教会であるらしい。そういった人たちへの忖度ではないのか?
28ページから29日には日本基督教団三里塚教会が場所を移した経緯が書かれているが、この部分の記述はどれだけを川島正行氏に取材したのだろうか?新聞記者としてはちょっと不足があると思う。
これは全くの噂話で小生も当然確認をできていることではないが、川島氏は、戸村氏とその支援者に相当苦しめられたということもあったようだがそういった話は出てこない。それはキリスト者としてどうなのか?”宗派”というのはなんなのか?日本キリスト教団はプロテスタント以外の宗派もあるのだろうか?それともメソジストの伝統ではない”教派”ということか?しかし、小生が知る限り、日本基督教団では戦後であれば、教職は各個教会の招へいによって着任するのであるから、三里塚教会の教会員の多くが川島牧師についていかなければ、逆に”牧師解任”ということになったろう。そうならなかったのは、教会員の総意としては移転を認めてたのではないだろうか?そのあたりの記述は全くなく、川島牧師の独断のような書き方である。このあたりも、キリスト教については「選択」誌元編集長の阿部重夫氏にアドバイスを受けたとのことなのだがどうなんだろう。
逆に自分と分かれたひとたちについての門切り型な記述も戸村氏のいっていることそのままのように見える。もう少し取材して、彼らの言い分を書いてもよかったのではないだろうか?というか、根本的におそらくは戸村氏が生きている間に、そういった袂を分かった人たちのところに取材にいくとおそらくはそれだけで裏切者とかスパイとか言われて、取材できなかったのかなあということも感じた。
確かに三里塚に空港を作るということはなんだかわからないところもあり、現状で、なぜか石原都政時代、かるがると当時の千葉県との約束を反故にして羽田からも国際線を離着陸できるようにしたあたりのほうが、なぞで、なぜ三里塚だったのかはやはりわからずだ。確かに東京に近い場所がよかったのだろうが、それであればもっといい場所は他にもあったのではないかと思うし、例えば埋め立て地などでもOKだったのではないか?また、川崎、横浜方面にも製油所もあるわけで、燃料の調達もできたのに、なぜ千葉だったのだろう、しかもいま、遠くて不便とか悪口をいわれて羽田に国際線をもっていかれるというなんともな感じがある。
しかし、問題は”戸村氏の反対はなぜだったのか”だ。ちょっと驚いたのだが、戸村氏自体は農民ではなかった。農機具の商店をやっていたりして、おそらく地域の中では裕福な方だったのではないだろうか?農民は代替地でも農業はできる。もちろんそれは苦労を伴うことはわかるが、そもそも戦後引き上げの初代はともかく、その次の代まで成田で農業をやるかというと、それも実際難しかったのではないだろうか?なので、この本を読むと、実際三里塚に残った農民はかなり少なかったこともわかる。
それにしてもよくわからないのが、農機具の商店だったら、農家がいなくなれば商売にならなかったのではないかと思うが、どのようにして生活していたのだろうか?海外にも出て行ったりしているようだが不思議な感じがした。まさかと思うがそういった生活面を触れないためにこの本はキリスト者の側面を描いているのか?
とにかく、これまで読んだことが多いようなことが羅列されているような感じで現時点でもう少し当時の人たちの話を聞いて振り返ってもらえるともっとずっと有意義な本になったはずだと思うのだが、新聞記者はそういったことはしないということかもしれない。そのようなことも、著者の戸村氏チャンネルでしかこの問題を見ることができなかったのでは?という懸念を引き起こすことであり、繰り返すともう少し当時の幅広い関係者に話を聞く最後のチャンスだったのではないかと思うのに残念である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーあとから追加ーーーーーーーーーーーー
さて全然関係ないことだがこの本の中に大木よねという人のことが出てくる。
このひとは小泉よねというのが戸籍上の名前なのだが、大木某と所帯をもっていて、本人は大木とよばれたいということだったらしい。
これはおそらく著者は戸籍を作れないながらも家庭をもっていたことを周りも認めていた証として、”大木”と呼び人を肯定的に書いて、逆に戸籍の”小泉”というひとは官僚的のような否定的ななとらえ方をしているのだと思われる。しかし、昨今の風潮からすれば、むしろ、夫婦の氏が別だと一段下のように見られるようなことこそ問題だったのではないか?そこへの進歩的な若者への批判的なまなざしは小生には牧氏の筆致から見つけることはできなかった
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