某所で深井氏に対して”実際に存在する雑誌名を挙げて記述をでっち上げられて検証に時間がかかる”と書いているひとがいた。
まあそういったことをやるのはご自由にだが、一体学者の世界というのは、見つからなかったら図書館などを探して資料は取り寄せるとか、古本しかなければ著者に問い合わせてどう手に入れたのかくらいは聞けないのだろうか?そしてそれを確認できなければ自分で引用するのはあきらめるしかないように思うのだが。
というかそういうことを書いているひとは本当にそんな作業をやっているのだろうか?よくわからないです。
最初の告発もなんとなく狙い撃ちしてやったような感じもあってなんだかなあという気もします。もちろん最初のひとは割と自分の研究に近いところだったので、探したというのは本当だと思います。しかしそれとて実際にモノが示されなければ理系の再検証と同じでそのような引用文に意味はないでしょう。
と思うのは浅はかで人文系の研究では”自分だけが持っている文書”などをもとにして、絶対人にはネタは見せずに論文を書くということが認められているのでしょうか?
と書いていて、前回書いたようにここでもし深井氏が資料を偽造して出してきていたならそれは捏造なので研究不正だと思います。しかし、論文ではない文章でそういわれてもなあ、というように思うのですが。これまたですが人文系の研究者にとって、一般の書籍(査読を通った論文だけを収録したものではないもの)でも”研究業績”になるので、想像を交えた文章はいけないのでしょうか?
前にも書いた通り最初からそのように書いておけばよかったものを書かなかったし、そのあとも、すっぱりと、あればフィクションで挿入したのでそもそもあの本は論文じゃないよ、といえば済んだような気が。もちろん当時の深井氏には訳文をパクったというような話もありましたので、そちらはそちらですけど。
なんで深井氏はそこまで今回の件を語ろうとしないのか、たしかにもやもやしたものは残りますが、逆に言うと研究上はもう深井氏の本に書かれている内容を孫引きするひとはいなくなるでしょうから、研究分野の学会の中での制裁は受けているといえるのではないでしょうか?
もちろん今回の本にも、パクリがあるじゃないか、というのであれば深井氏の反省はなんなんだ、と言いたくなりますが、もしそういったものがないのであれば、まあネット書店のレビューで匿名で星一つつけて憂さ晴らしでもするしかないんじゃないのかなと。