講談社が深井氏の訳書を文庫で発刊した。
そのことに対してキリスト新聞が抗議したというひとを記事で載せている。
ということはこの新聞も疑問をもっているということか。
本のひろばの書評の件でも感じたがいったい深井氏に対して皆さん何を求めているのだろうか?
まず思いつくのは例えば深井氏がてきとーな引用をしたことによってそれを孫引きして論文を書いて学校で成績をつけられたひとやつけた人が抗議するということだ。しかしそのようなひとは聞いたことがない。小柳氏も深井氏が岩波のPR誌である「図書」に書いたことを引用しようとは思わなかったことだろう。
また、一番深刻なのは例えば自身の博士論文で典拠がないような文書を引用するとかの不正があればそれは問題だが、今の問題はそのようなものではない。また査読論文ですらないただの本や雑誌の連載である。また、翻訳のパクリも指摘されていて、こちらのほうが今回の書物には翻訳ということで直接のかかわりはあるだろう。そのあたりは講談社側には考えがあってちゃんとチェックしたのではないだろうか?
一般に研究不正といえば、例えば何か自分の発見したこととして書いていて、それが他の著者からの引用なのにそれを書かない。それは不正だ。しかし今回はそうではなく、両方とも引用の典拠を作り出すという業なので、他の人は当然自分もあたってみればそんなものはないことがわかるだろう。例えば自分の仮説として書いていれば何の問題もないようなことだし、図書のほうも、想像として書いておけば問題はなかったはずだ。別に図書は研究論文の発表場所ではないので確かに「研究ノート」というコーナーであってもそこまでは厳密なものではないと思われる。
ということで、そもそもがこれが研究不正というようなものかについてすらも小生は疑問がある。繰り返すが、業績としての論文で他者の成果を自分一人でやったようによこどりしたり(某K大学の竹中某などは公にされている書物でこれをやったということが言われている)、データなどの改ざんを行えばそれはまずいだろう。人文系で言えば一次資料として提示しているものを書き換えてしまったりすればそれは不正だ。
そもそもが深井氏がやったのは論文などの業績としてカウントされるものではない。
正直なところ、小生はもうそれなりに立場もあった深井氏がなぜそんなことをする必要があったのかはわからない。あえて自分の中で決着をつけるとすると、例えば同じ岩波から出ている坂口ふみ氏風のエッセイを書きたかったのか、、、学者としてよりはエッセイとして一般の人にも読まれるものを書きたかったのだろうか、、、
もちろんそこを深井氏が語ってくれればいいのでしょうが、いろいろと迷惑をかけるひともいるのでしょう。
それにしてもここで問題なのは岩波のスタンスで編集者がもう少し彼を守ってもいいと思うのですが、やめてしまった人なのか。また東洋英和ももう少し原因を調査してくれれば今このようなことにはならなかったかもしれないとも思う。
最初に戻るが小生は深井氏がやったことで迷惑をこうむったわけではない人たちがなぜそこまで深井氏に粘着するのか全く分からない。また、小生も深井氏は十分に社会的な制裁も受けていると思うがこうした人たちはいったい何を望んでいるのか?例えば学会の中であればそれなりにやればいいし、教会的なことと考えるなら彼が所属する教団の中でやればいいと。また、学校の教師としてであれば、それはその中で行われるべきことであると思われます。
学校法人の理事長であることについていっているが一応別の大学に属しているひとが他の学校法人の人事についてあれこれ言うのはどうなんだとも思う。なんだか粘着して彼の出版活動をやめさせることに生きがいを感じてるひとがいるのは本当になぜなんだろうと思うところ。