前からこの中室というひとの問題点は書いてきたが、一向にこの方の勢いは止まらない用である。そして仲間褒めの書評など出る始末。
今週の本棚:大竹文雄・評 『科学的根拠(エビデンス)で子育て』=中室牧子・著 | 毎日新聞
書評を書いている大竹という人は何かで関係なかったかな?臆面もない仲間褒めは学会誌などでやって、一般の新聞など公衆の目の前ではやめてほしいものだ。
さて、この本では「スポーツをする」、「リーダーになる」、「非認知能力を高める」という三つの提案が将来の高収入につながることを”エビデンス”で示しているのだろう。しかし、実はこれは日本の大企業の社員によくあてはまることで、おそらくみんな”エビデンス”がなくてもなんとなくそう思っていることだろう。
しかしだ。こういうひとが高収入を得る社会が”良い社会”か?というのは全く別の問題ではないのか?また、例えば官僚などにはおよそこのような資質とは正反対のひとが偉くなって高収入をえるようなこともあるようだ。もちろん体育会の強さはあるのだろうけど、そうでなく、若干人間関係などには問題のありそうなひとでも偉くなるのは、先般の水俣病の対話のマイクを切った人などみても、非認知能力の点で問題があるが偉くなるひとがいるということなのだろう。
ということで中室氏の各種論説の害は現状の社会の大勢(または財務官僚のいってること)を肯定する結論しか彼女のいう”エビデンス”からは出てこないのではないか?という疑問がある。
もしかすると意図的にある傾向を示すことを担うことで審議会などでのポジションを得ているということなのかもしれない。そうなれば、まさに特に”非認知能力”にとても優れた人なのだろう。でも学者にはいわば”空気を読まず真実を述べる”ことが必要な場面もあるのではないだろうか。もちろん今はそういう必要はない、学者も国家に奉仕すべきだ、という方向に世間は向かっているので、学者のプロモーションも”非認知能力”が高いひとのほうが偉くなる、という”エビデンス”が彼女からは出てきそうである。
繰り返しますが、彼女のエビデンスによって示されることが”よい”かどうかは全く別問題として論じなくてはならず、それが”悪い”のであれば改善しないと社会はよくならないわけだが、そういう視点は感じない。経済学って、現状を説明するだけではなくて、それがどういった意味なのかを示すのが学者のやる学問じゃないのかなあ。もちろん小生が学んだのは規範的経済学というやつなのでそう思うのかもしれませんが。