兵庫県の知事選挙、あれこれといわれている。しかし、あまり言われないが、東京都も都知事の学歴疑惑、パワハラ的な左遷、よくわからない東京五輪後の東京都の負担など、話題には事欠かなかった。しかし、そういったことはすべて消去されたような形で再選。結局のところ、知事選挙では現職というのはよっぽどのことがないかぎり強いということだろう。また、名古屋市でも同様に前市長の後継者が選ばれた。じゃあ例えばこれで県知事はどうかというとおそらく愛知県民はもし再度出馬すれば再戦するのではないだろうか。もちろんのように次の県知事選挙ではいろいろなことが起こることが想定されるのであるが。
また、現職の後継者が落選している例としては、武蔵野市などが思い出される。たいていは革新市長が落選するようだ。これは支える人の高齢化があるのかもしれないと思う。今の何歳からか下の世代は非常に自己責任を重視し、公による再配分などを否定する思想(保守とは書かない)が好きなようだ。これは米国などもそうなのか?よくわからない。米国では雇用の安定や物価の低減を政府が行うことが求められるようだ。しかし日本でそういった経済政策が重視されているとはとても思えない。あえて言えば千葉県でデータセンターを誘致することで雇用を増やすといったことがあったようだが、それはそれが当選のキーだったのかよくわからない。
組織された運動がなくなり、非常にあいまいな形で世論が動いていく時代、選挙というのがある方向に行った時の恐ろしさのようなものを感じるところだ。なにしろ選ぶ人たちが、選ばれる人のモラルを全く考慮していないとしか思えない結果が続いているわけで、モラルのない人がトップに立つことに全く違和感がない社会。どうなんだろう、、、