雪冤(せつえん)の歳月 ~ひで子と巌 奪われた58年~ - NHKスペシャル - NHK
折々に拝見はしていたが、改めて呆然とするような番組だった。
この番組の最後の方で、まだ検事総長の畝本氏が判決への不服を述べている映像を流していた。これはものすごく示唆的だったと思う。検察は不服を述べるのではなく、なんで裁判所でそのような判断をしたのかを、きちんと尊重して原因を調査すべきと思うんだが、検事総長の頭はどうやらこれを認めることは検察の士気を低下させるので、無罪という裁判所の判断は尊重しつつも捏造された証拠に基づくという論拠は受け入れがたいということか。
しかし、そもそもが、なんでこんな無理筋を警察がやったのか。それはそのような証拠でも受け入れてしまう検察の問題だったのでは。ネットによれば、この証拠について、安易に疑うこともなかった、書記官はその後北海道大学の教授として学生の指導に当たったらしい。すごい話だ。おそらく後年さすがに自分がやったことがまずかったことはわかっていたのではないだろうか?ぜひともその点、弟子筋などに取材してほしかった。
また、そもそもが、事件は当初、例えば地名などをつけて言われていたのではないかと推察するが、いつの間にか犯人とされた人の名前で時間を指すマスコミもひどいものだったし今もその反省がないのはどうなんだ。これは重要な問題だ。むしろ捏造した警察、それを認めた検察の担当者の名前を付けてみたらどうなんだろう。これはあきらかに職責としてやったことなので、だれかに騙されたということではない。このような狭い地域での犯罪で本当に犯人が分かってないのか。または、逆に狭い地域で自分たちから犯人を出したくないということで、後からやってきた工員を犯人だとみんなで名指しした結果なのか、そういった当時の雰囲気も取材してほしかった。こういった”雰囲気”は今も変わらないのではないかという気もする。というかむしろネットなどで安易に情報が流布されて、いったん犯人のようなことになるとそれが確定的な話として流布され残るという時代であるので、なおさらマスコミは当時の報道がなんだったのか反省してほしいものだ。
ということで、番組はあまりに重くて、ふたり(家族などもっと多くのひとか?)の人生を狂わせてしまったし、もし姉の秀子さんがいなかったら本当にどうなっていたのだろう。むしろ検事総長などは、”検察の無謬性”を棄損した姉を恨んでいるのだろうか?そのような”神話”によって出来上がる、検察が考える社会の正義とはなんなのか?ということも考えさせられた。形式的かもしれないけど検事総長はこんなことを言っている。
この人の考えがいったいなんなのか、ぜひとももっとこの事件についてマスコミは聞いてほしいですね。定期の記者会見もあるのだろうし。と思うけど記者クラブというところはあまりたてつくことはしないで、マージャン卓など囲むのが優秀な記者と目される世界だとするとあまり期待できないのか、、、