タイ史上最年少37歳の首相誕生 新首相にタクシン氏の次女ペートンタン氏選出 - 社会 : 日刊スポーツ
タイでは憲法裁判所で首相が解任されたそうです。
ここで思うのがよく日本では特に進歩的と思われる人たちが、憲法判断を求めて裁判を起こすことが多いことです。
しかし、米国の例などでも決して裁判所は進歩的な人たちの要求にこたえるわけではなく、為政者、といって悪ければ立法組織である国会の状況によって判断をしているということがある。
進歩的なひとからすると、日本は法治国家であり、法の解釈が政治的な状況に左右されるのはおかしい、ということになるのだろうが、果たしてそうなのだろうか?むしろ裁判所というのはそういうもんだという割り切りがなければいけないのではないだろうか?ここでじゃあスポーツで片側に有利な判断をする審判でいいのか、というひとがいるかもしれない。しかし、よく知られるようにスポーツの審判も機械的に正しいかは微妙である。例えばバスケットボールでは、ルール上は相手に影響がある接触はファウルだが、実際はレベルに応じて、トップリーグなどでは当然のように五分五分のフェアなふれあいはファイルにならないし国際試合でも同様だ。また、トラベリングの判断も微妙に国際試合になると違ってくることもあるらしい。要はルールのもとの平等というのは、そのようにあることが起こった時にフェアな条件を崩しておらず、そして、害が起こっていない、という状態なのだろう。
ということを考えると、最高裁判所が憲法判断を行うということについても同様で、下級審の判断が、憲法に基づいて誤っている、ということは、法の適用を誤っていなければまずはないことだろう。なぜなら、例えば生活保護などは当然のように法に基づいて行われるもので、その法自体は憲法に基づいているからである。したがって、一番効果的なのは、おそらくはその法を選挙の時の争点とすることだろう。
それには日ごろからそのような訴えをする活動が求められる。
今の進歩派の人たちの裁判はどうもその日常活動をパスして、最高裁判所が”正しい”判断をしてくれる、と思っているようだが、それはやはり海外をみているとそんなものではないようだ。
われわれは小学校で教わったところでは、日本国憲法が定める、立法、行政、司法のうち、国民が直接選べるのは立法の国会だけであると。行政についてはリコールができたり、司法に関しても、最高裁判所の判事については国民審査がある、ということは習うがやはり、直接選挙で選べる国会議員が最高であることは、民主主義社会では大切だ、ということを教わったように思う。もちろん国会議員も法を破っていいということではなく、法を作る権限を与えられているという意味で最高だ、ということだ。
そうすると、じゃあ少数者は無視されていいのか、ということを言う人が出てくるように思うのだが、当然無視はいけない。また、少数者の権利も守られなければならない。しかし、それを守るのはやはり、社会であって、そういった守るための法律をつくることが必要なのだろう。何か”進歩派”の人たちは、頭がいいので、法律もよく知っていて、その解釈から、あれこれ導き出すのだが、社会の多くの人が、その権利を大切だと思わなければ、ことばどおりの絵に描いた餅でしかないだろう。なので、少数者の権利を守るのは法も大切だが、それを大切と考える社会ができるための理解を求めていくことだと思う。
そういう意味では憲法改正についても、自民党案が否決されれば、自民党の痛手はとても大きいものであり、選挙をやってみる勇気が自民党にあるかどうかですね。
特に党首にとっては、かなりハードルが高いわけなのに、否決されたら大きな痛手で、火中の栗を拾うようなことをやるひとがいるかどうかです。
前にも書きましたが、0歳児投票権の問題をこれにくっつけると、0歳の子どもは、他社の人権をまもったり、そういった社会に対する認識もないでしょうから、やはり投票権を与えることには賛成できません。0歳の子どもであっても投票するからには、社会のために投票するのであって、自分にかかわることだから、と自己決定権のようなことを言い出すのは全く持ってセンスのない話と思います。そして、そのような社会についてきちんと学ぶのが義務教育の社会であるということです。なので、小生は義務教育を終えていないひとに投票権を与えることには反対です。