8月13日朝日新聞オピニオン欄(五輪辞退)

大会不出場という代償、重すぎないか 五輪銀メダリストの問題提起 - パリオリンピック:朝日新聞デジタル

溝口紀子氏の意見はタイトルのようなことであった。

しかし、小生が思っている、本当は常習的で過去にも何かしらの問題があったのではとか、周りの選手のコンディションへの影響はどうなのだ、といった点についてはなにひとつ答えてくれない、ただの五輪出場は選手の権利としてとらえる考え方だ。

もしかすると柔道は個人種目なので(団体といっても体操などでいうチームという感じではない)様子は違うのかもしれないが、他の選手への影響も考えてほしいと思うが、、、大会直前にあのような話が出てくる不思議さを、溝口氏はもう少しヒアリングする相手にもヒアリングしてから、それを出さないまでも、もう少しわかるような意見を言ってくれた方がよかったし、オリンピック銀メダリストの自分の感覚としては、そうだとすると、なんだかなあという感じだ。溝口氏を有名にしたのは、セクハラ、パワハラ問題の時の話なので、もしかすると彼女はスポーツ選手個人の権利を守ることに熱心で、それが今回の意見も、出場選手個人の権利、という観点からすると、辞退は重すぎということかもしれない。その権利はもしかすると溝口氏も書いているように、その後の地位・仕事・収入などへの影響ということもあるのであろう。それ自体どうかとおもうのだが。ある選手が例えば五輪出場してメダルをとると、地元のスポーツ施設の館長などを用意とか、なんとか大使とか、日本○○協会が役職提供とか、そういったことが正しいことというのが溝口氏の意見なのだろう。しかし、それはそれではないだろうか?溝口氏の年代を考えると、当時の旧社会主義国のように国威発揚のために多大な功績があったのだから、国が責任をもって面倒を見るべき、ということか、、、

ついでにほかの意見もなんだかで、早稲田の先生の意見はなんだかひとごとで、早稲田の人が起こした問題をまたったく省みないし、フリーライターの意見も、そんなこというならちゃんと取材して書けばいいじゃないか、とおもうこと。そもそもが新聞がなんでフリーライターに”取材”するんだろう。これはフリーライドで、本来は、自社の記者が取材しなければならないことを、専門に取材しているフリーライターに話を聞いて記事にする、というなんともお気楽な紙面づくりとみて、朝日新聞のモラルの低下も感じるとところ。