朝日新聞2月4日を読んで

(耕論)なぜ「図書館の自由」? 門井慶喜さん、福井佑介さん、嶋田学さん:朝日新聞デジタル

この中で嶋田氏の最後のところには非常に違和感があった。

地域住民の意見を聞くことは大切だ。しかし、それが”委員”となると話は別だ。

前に書いたようにそういったところにもしいろいろな宗教団体などの人が入り込んで、そういった書物を選書したら、だれがそれを止められるのだろう。また、ある地域、例えば仏教が支配的な地域で、仏教の書物は多く買われるが、キリスト教的な背景をもつ書物が外国文学も含めて購入されたにとしたらそれは問題だろう。一見聞こえがよいが、そういった危険に全く無自覚な意見で、そこは、福井氏が書いているように、いろいろな問題がこれまでも発生してきていることを認めて、それを解決するにはどうするか、という観点が必要だと思われる。一般には司書の独走と思われているかもしれないが、単にそれを住民参加という名のもとに委員に選書まで意見を求めれば済む問題ではない。しかし、限られた予算で購入することにはなるわけで、なかなか難しい問題だと思う。あれを買えばこちらは買えない。ほとんど読まれない本は買ってはいけないのか。また、門井氏の論にも少しあって、コロナの時に図書館が閉鎖されたことに言及がなく、そもそもが、コロナというものについて、国民が知りたいときに図書館を閉鎖したことは、アクセスを禁止されたも同然で、今後非常事態の時に図書館を閉鎖することを許すのか、というのが重要なことだと思う。この反省はどこかでなされたのか、ちょっと見たこともないが、図書館の閉鎖はネットで代替できるものではなく、非常に危険なことをはらんでいることもぜひとも触れてほしかった。