エリザベス女王の一連のながれと9.11セレモニーをみて

国葬についてなんで違和感を感じるのかわかってきたことがある。

振り返ってみると例えばスターリンにしても毛沢東にしても、亡くなった後遺体自体が見ることができて、それを悼んだと思う。今回エリザベス女王も棺が長い時間かけてくるまで運ばれて沿道で人が見ていた。やはり棺がないのはひとの葬儀ではやはり必要なのではないかということだ。おそらくは政府もそれはわかっていたので安倍氏の葬儀に自衛隊の儀仗兵を差し向けたのだろう。そうなるとやはり葬儀はすでに終わっていて、今度やるのは”お別れの会”ということだと思う。なんでお別れの会ではいけないのかはちょっとわからないところです。、

CNNをみていると9.11のセレモニーをエリザベス女王の棺を運ぶライブ映像と一緒にやっていました。9.11はとはセレモニーとしてみんなで弔意を表すと。いってませんがみんな当然弔意を表しています。別に葬儀じゃなくても弔意を表す形はあると思いますし、9.27も棺などはないので、セレモニーを行って弔意を示す、ということだと思います。ちなみに葬儀にこだわるのは、葬儀は宗教と結びついていて、宗教色がない葬儀というのはちょっとほとんどの日本人には考えられないのではないかと思うのですが。それが仏教、新党、キリスト教イスラム教、その他ほかの宗教でも。やはり死を受け入れるということは、何かしらの宗教的な理解がないと、特に今回のような突然の場合は近い方だけでなく、広く受け入れがたいところがあるのではないかと、そういった宗教的な語りを共有するとしたら国葬がなりたつかもしれませんが、それはできないわかなのでむしろ自由に宗教的な行事として行えるように自民党と安倍家の葬儀にしたほうがより国民には残ったのではないかとも思います、残念なことです。