過ぎてますが憲法記念日に思うこと

憲法記念日やはり今年の注目は9条について、ウクライナなどのように攻め込まれることがあったときどうなんだ的なところでしょうか。

わたしは二つくらい感じていることがあります。

ひとつはロシアのプーチン大統領はこれを攻撃とはいっていなくて自衛的な作戦といっていることです。日本ではロシアが”攻撃”したといってますが、そうではない。これは戦争を始める側にとっては共通したいいかたで、おそらく多くの戦争は今回のようであっても、そして、過去も攻撃する側の”自衛のため”に始まるのではないでしょうか。

なのでその点を踏まえないと憲法改正論議は非常に危険であると思います。

ふたつは、国民の盛り上がりがないと、戦争はできない。それは憲法を越えたところだということです。米国はやはりイランなどでの失敗で直接の出兵はできないのだと思います。また、まだベトナムのいたでもあるのでしょう。しかし、ロシアはここのところクリミア戦争などでも一応成功を収めて、戦争は勝っている間は国民が盛り上がって政権も支持を伸ばすので、まあそういったことでプーチン氏は戦争ができる。また、ウクライナも当然これまでの流れで戦争に至ることは想像できても、国民が盛り上がっている以上やめるわけにはいかない。やめた瞬間にもっと民族主義的な政治家が大統領の座につく、ということでしょう。日本も政治家の挑発的な言い方が最近目につきます。おそらく日本は平和憲法をもっていて、国民は長く戦争をしなかったので、その悲惨さはすでに忘れられようとしている。または意識的に教育などからものぞかれようとしているのだと思います。そうなれば、威勢のいい政治家のほうが支持を集めるのは当然で、結局自民党は維新に負けまいと威勢のいいことを言っていくしかない状況だと思います。ということでこれが続けばどこかで戦いをやるのでしょう。自衛のために。それがどのような結果になるのかは見えていますが、おそらくそうなると、今度は戦争に協力しない勢力のせいにして、もっと支配者に都合のよい国になるのではないでしょうか。

あるかたがたは平和憲法によって日本は戦争をしていないといいますが、そうではなくて、やはり第二次大戦の被害の大きさによって、戦争はしなくない、という気持ちが残っていることが大きいと思います。いくら平和憲法があったとしても国民が戦争を支持するようになれば、いくらでも戦争は起こると思います。だいたいが、世界のほとんどの国に平和憲法はありませんが、戦争をしている国もありません。したがって平和憲法の有無と戦争をしないことはそれほどの関係はないでしょう。戦争をやらないのは、ただしい教育であって憲法があればよいものではないと考えています。したがって、某政党のように、平和憲法を守るのを自分の党の宣伝に使うのではなく、平和を守ることは日本人にとって当然なので、そういったことを特定の政党を越えた価値として提示していくべきかと思います。某政党のような方々だけが平和を言うことで、平和自身が特定のイデオロギーになってしまうことを恐れています。平和というのも非常にひとによって意味が違っていて、あるひとは戦争さえなければ平和といい、ある人たちにとっては例えば基地が身近であれば、基地などもないほうが平和というでしょう。また、ひとによっては軍隊が国境を見えるように守ってくれる状態を平和と思うかもしれません。そのようなことを話しあって、日本にとっての平和を考えられるようになってほしいと思います。