田中克彦ことばは国家を超えるをよんだ

田中克彦氏の新著をよんだ。

ちょうど井上章一編の『学問をしばるもの』で「はたして言語学者はふがいないのか(長田俊樹)―日本語系統論の一断面 」と大野晋さんについてかさなるところがある。当然長田氏のほうがこの問題について深く研究されているのであろう。しかし、対大野氏についていうと読んだだけの感じでは田中氏のほうが圧倒的にやりあえていたように思う。そこはなんなんだろうと思いながら読むと、やはり、研究の厚みのようなものと、さらにはそれと関わりますが、井上氏の本の問題になる、学問がしばられていない度がおそらく田中氏の方が高いのでしょう。もちろん田中氏自体がしばりをあたえている、または作ったというご批判もどこかでは出てくるのかもしれないと思いますが。しかし世間のほとんどの人は学会のそとのひとで、そのようなしばりは関係なくものを考える人です。逆にいうと、しばりというものを意識的に田中氏は考えていることはうかがわれます。ほとんどの学者がいやだとおもっても就職のことなどから前提とするしばり自体について考えている学者はなかなかいないのかもしれません。本自体の感想ではありませんが。