山上容疑者の精神鑑定の延期

2月まで延期するそうだ。

一体何が起こっているのだろう。容疑者が書いた文章などみるかぎりは、とてもそんなにながい精神鑑定が必要とも思えないが、、、

ただし、あまりにも計画が周到なようでいて、実はとんでもなかったりするあたりが、わかりにくい人という気はする。本人の中では結びついていたということははっきりしているが、なかなかあそこまでの執念をもってというのは理解しがたところだ。しかし、この事件は用意が周到だったというわけではない。前日に下見にでかけて、翌日は旧居の変更で地元にくるなんていうのは全く容疑者のできることではなかったし、1発目は失敗したことから、その間にこのようにみんなが気が付かないうちに2発目を発射できることなど全くの想定外だったろう。また、となりの市長と違って、安倍氏が伏せたりしなかったことも当然想定外だ。本当に本人の奇想天外な妄想によって作られた武器が偶然がいくつも重なってあのような結末に至ったとしか思えない。

といってもこのような拘留ではないのに精神病院にいれておくのは本当にありなんだろうか。不思議な気がする。それこそ法務大臣の出番ではないのだろうか

無題

なぜ彼女が… ホームレスの死が問いかけるもの 東京・渋谷のバス停で事件|NHK事件記者取材note

2年前にこの事件が起きたので花束を手向けに行った人などがいるとのことだ。

おおむね2年前と変わらず、加害者を責めるまた加害者と社会を同一視したような言説が多い。しかし、私は結局この事件が裁判までいかなかったことが非常に良くなかったと思っている。まず第1に被害者は石を入れたペットボトルで殴られたことで亡くなったということだが、当初は警察はこんなことは言っていなかった。今の主要な道路の歩道で人が殴られると死ぬほどの石を見つけるのはそれなりに大変そうだし、また、レジ袋に入れて殴ったといっても実際証拠として見つかったという話を私は知らない。確かにペットボトルで殴ったのだろうけども、もしや、警察はペットボトルだけでは無理があるとおもってあとから石のことを言い出したのではないかという疑問がある。司法解剖の結果もわたしは知らないのだが、、、また、加害者をまともな精神状態で殺害したひどいひとのようなことを言う言説にあふれているが、早朝の道路の掃除を任務としてやっていたひとで、本当に殴った結果を判断できるような精神状態にあったのかは不明だ。精神観点すら行われていなかったのではないだろうか。これにたいして精神科医からはなにも出てこないのはどういうことなんだろう。それこそが日本の社会制度の問題のような気がする。十分なケアを受けられず、何か問題が起こっても、精神科医はだれも自分の患者だというようなことは言わない。

わたしはこの事件は社会のセーフティーネットの欠如でふたりのひとが死んでしまった事件だったと思う。

自殺した犯人にどういったことがあったのかを追うようなジャーナリストがいないことをとても残念に思っているし、わたしのような素人が疑問に思うことをなかったことにして、ひたすら被害者にだけ寄り添った言説を垂れ流すひとたちも全く信用していない。

朝日新聞を読んで(11月16日)

「図書館の自由宣言」なぜできた? かつて警察官が司書の机を…:朝日新聞デジタル

という記事がでていた。前の文科省北朝鮮拉致問題の本を若者の手に取りやすいようにしろという通達のあとの記事だ。しかし、私は自らの体験からこの記事にものすごい違和感を感じた。確かに図書館の自由は大切だ。しかし、私は以前、こどもと”ピノキオ”を借りたくて図書館にいったところ、貸してもらえなかった。

しかし、確かにピノキオに差別的な表現があるかもしれないが、それを読んだ子供が即差別主義者になるというのはあまりにも短絡的だし、要は自分たちのような専門家がいないところで読ませることは危険な本なので貸し出さないということなんだろう。これと同じような扱いを受けている本にちびくろサンボというのがあることは私も知っていた。しかしピノキオも同じ扱いとは知らなかった。ということで知らないようなおとなは正しく読ませられないので子供にも貸さないということだろう。しかし、そのような図書館の自由は本当に自由なんだろうか。なにか違う気がするのだが。専門家がいつも正しく判断できるので、一般人に教えてやるという”欠如モデル”はとっくに終わったかと思ったがまだまだ図書館の世界ではいきているらしい。

NHKニュースウォッチ9拉致問題をみて

11月15日が横田めぐみさんが拉致された日ということで今日のニュースウォッチ9に横田さきえさんが出ていた。

それにしても不思議なのは安倍元首相が結局1回も北朝鮮にのりこまなかったことだ。環境ができなかった?しかし、トランプ元大統領が作ってくれたんじゃなかったのか、、どうにもわからない。

また、今日のインタビューでもキムヘギョンさんについては触れてなかった。これはタブーなのか、、、

それにしても、拉致されて45年ということはほぼ半世紀。厳しい毎日を送られて、もう少し政治家はなんとかできなかったのか。日本にも北朝鮮に影響力をもつひともいるらしいが、そういった仲介者を通じて何かすることもできなかったのだろうか、、

わからないことだらけで、そのあたりにこの問題の闇を感じる。

おそらくは帰ってきた人たちも、何か言うと残っている人に危害があるとよくない、ということでオフィシャルに話せないこともあるのかもしれないが、もう少し語ってくれてもよさそうな気がするのだが、、、

保坂展人世田谷区長(2)

前にも書いたが、私は世間的には評判がいいらしいこの人を全然信頼できていない。

今回の旧統一教会の問題についても、世田谷区が抱えている旧オウム真理教の問題を考えれば簡単に解散命令さえ出せばいいというようなものではないとなぜ言わないのか?

結局そのような発言をすれば、ひとびとからKYと思われるだけだから黙っているのだろう。このひとは結局はある種のひとたちの空気を読むのは得意かもしれないが、自分の信条があるんだろうか?

もちろん不幸な事件で学校にちゃんと行けなかったということはあるのはわかる。しかし、世間には高校や大学に行かなくてもちゃんと勉強しているひとだっていくらだっている。このひとはおそらく頭がよくて、勉強をしなくてもそういう空気を読んで活動していると、ある人たちは認めてくれる、という承認要求が強い人なんだろうなあと思ってきた。

例えば一見するとドイツのメルケル前首相なども空気で動いたりしていたように見えるかもしれないが、自伝を読むとやはり彼女には旧東ドイツでの生活がベースにあることがわかる。

じゃあ保坂さんにとってはなんなのか?若いころは沖縄に行ったりしたらしいが、じゃあなんでいま世田谷区なの?全然わからないなあ、、、

もちろん世田谷区は広いからなかなかすべての場所を理解するのも難しくて、彼にとっては烏山なんていうのはほぼ甲州街道沿いの田んぼのようなところで、あまり相手にしてもしょうがないと思っているのかもしれないが。

しかし、地域の住民にとってはいまだに区民センターで学習会を開くほど重要な問題だ。

結局解散命令を出してもまだ烏山ではオウムの問題が全くなくなっていない、それをもっと発信すべきではないのか。

まあ彼としてはおそらくは次は都知事でも狙っているのでしょうから、あまり支持団体にKYと思われることはしないでしょうけどね。

ただ、世の人たちは小さな烏山区民センターでいまだにオウムについての学習会が行われている(問題は解決してない)ということを知らない方もいるかとおもって書いてみました。

朝日新聞をよんで

「人生の最後にこんな目に」 老朽団地建て替え、行き場ない高齢姉妹 [東京インサイド]:朝日新聞デジタル

こんな記事がでてました。

国立富士見台団地はここにも書かれていますが公団が分譲した住宅でした。

で、当時は当然公団が分譲したということで、いわば親方日の丸的な安心感もあったのでしょう。

ところが日本の政府は公団の分譲住宅の管理からは手を引きました。ある意味当たり前といえば当たり前ですが、住民へのサポートが十分だったかという疑問はあります。

この記事のように、建て替えて、新しい人を入れて、前からいる人は割安に住めるようにする、という方策はよくあるようです。しかし、考えてみれば、東京の場合、近くの同じようなマンションとの値段を比較するとそれは新しい人にとって割高なマンションを買うことになるわけで、よっぽどそこに住みたい人以外は周りのマンションを探しそうです。また、よくないと思うのは、50年近くたった公団はかなり安く購入できるでしょうから、最初から建て替え後のことを考えて買う人も出てくるのではということです。逆にこの記事のように出ていく人は安い値段でしか売れず、これではお金のある人がもうかるだけの仕掛けでしょう。

やはり、ここは旧公団のマンションについては、ある程度URが面倒をみて、業者の選定やプラン決定の支援など公平性を担保しないとまずいのではないかという気がします。

この記事のようなひとにも例えば一時的に資金を融資して、すぐに売って返済してもらい、別のもっと安いところに移れるようにするくらいはしてもいいんじゃないでしょうか。または、同じ敷地に面積は小さくなっても交換できるような住居を作るかですかね。50年たった集合住宅の問題はうまい解決スキームをつくらないと、本当にあちこちでいろいろと問題が発生しそうでこれはなんとかしないとまずいところではないかとおもいます。

 

11月5日朝日新聞感想

(多事奏論)合意とは 田んぼの民主主義、水は血よりも濃し 近藤康太郎:朝日新聞デジタル

こんな記事がでた。記者は天草支局長だといいながらも内容はそこから2時間もかかる場所での田んぼのはなしだ。

ところでこれはとんでもない記事だと思った。記者は田んぼで水を分けることについて、上位にいるひとが決めていくことをしょうがないというようなことをいっている。しかし、じゃあたとえば記者もやっていると思われる、仕事を他の人に回すようなことはどうだろう。ライター業界もそうだときいたことがあるが、あるひとに仕事が打診されて、若手育成のために、その仕事を回して、それを親分が少し手をいれて自分の名前で出して、お金はある程度実際にやった人に回すようなことは行われているようだ。そのときに、例えば近藤氏のように何人もの若者を抱えていると親分がいて、そのおやぶんが、仕事を受ける量を減らしたらどうなるだろう。これも親分の一存で決めるのは当たり前だろうということか。

もっといえば会社組織になっていても社長が顔で営業して仕事をとってくるような会社もいくらでもありそうだ。これも近藤氏はそういう会社では社員は社長の一存で、例えば仕事とってくるのが面倒になったから、やめろ、といわれてやめさせられるやつがひとりふたりでてもしょうがないって感じでしょうか。

まあ朝日新聞といえども、退職間際の窓際のような記者が書くことに目くじら立てるのもどうかというきもするが、しかし、一応この記事も購読料にはいっているので、朝日新聞のご都合で給料を払うのにひつようなのかもしれないが、それは、社内報にでも書いてもらって外には出さないでほしんものだ。

それにしても、朝日新聞の記者というのはよほど待遇がいいのだろう。しかも天草支局長なる肩書もちゃんとつけてくれる。本当にお役所よりもお役所的な会社でまあ社員にとってはいい会社なんだろうなあと思わされます。繰り返しですが、そういう記者が書き散らす記事を読まされるほうがいい迷惑だが、もしかして、天下の朝日のベテラン記者の記事は一般庶民はありがたがって読むだろうくらいの上から目線な感じの会社ですか?